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雑草のような雑念と雑考

日本の先鋭的論客を読む

 先鋭的論客のサンプルは2名だ。
東浩紀瀬名秀明
 それぞれ、国立大学の教授であるが現代日本の文化・技術あるいは両方についてアクチュアルな批評と分析を発信している。
 東浩紀現代思想で文系より、瀬名秀明はテクノロジー論で理系よりだとしておこう。
 その根っこの部分が同じだという点から、始める。
根っことはサブ・カルチャーだ。アニメ、TVゲーム、コミック、SF、ラノベ、フィギュアなどの話がその論評にある。その著作が話芸をベースとしているのも共通だ。
 そう、両人とも語り部的なのだ。それ故に、講演や対談集が多い
 サブカル系が一般聴衆むけのアトラクティブなサワリとなるのは肯ける。はやりのクール・ジャパンと重なり、国家戦略の一角に重なるし、それしか語りようがないのもわかる。
 では、何を言いたいのか?
 サブカルチャーから現代の状況そのものを論断しようという姿勢が、須らく我ら日本人の悲しい性を感じるということだ。日本的知性の有り様が両者の発言から大いに了解されるのだ。
 倭人的で江戸情緒的かつ縮み志向、つまり一国唯我独尊というべきものが、そこにはあるのだろう。
 雑誌『現代思想』や『ユリイカ』がサブカルを取り上げるも同じ傾向の現れと言われている。
 東日本大震災はなるほど大きな衝撃であったに違いない。だが、一国災害的であり、その地元や国の活力回復を考えるというように日本にしか眼差しが向かうことはない。

 何を比較の論拠にそう判断するかというと欧米圏の現代思想や技術論がそれである。話題の『テクニウム』にせよ『オリエタリズム』のザイードにせよ、依って立つ所の視点が世界史的だ。自分たちの論議が一国で納まるようなものとは思っていない。国境を超える思考が土台にある。
 東浩紀瀬名秀明、両名とも語りかけるのは自国民のだけなのだ。
 別に日本の思想状況が低い高いを云々しているのではない。ガラパゴス化は製品だけではなく、論壇や思想界にもあるということを言いたいわけでもない。自分はガラパゴス化は価値があることだと思っている(考えることが世界中みな同じなんて、ありえない)
 日本は世界史的にそんな場所にある、それを感じただけなのだ。

 最近、読んだ両者の本

瀬名秀明ロボット学論集

瀬名秀明ロボット学論集