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雑草のような雑念と雑考

アウグスティヌスの「時」とヤスデの昔話

 「時とはなにか」についてアウグスティヌスは「問われなければ、知っている」

とした。

 ゲジゲジか、それともヤスデだったかも昔ばなしのなかで、「どのように移動しているか」と問われて「足の動かしかたがわからなくなってしまった」そうだ。

 ここから得られる、統合レベルの教訓はなんだろうか?

「時とはなにか」という問いで、かえって「時が何だか全く理解できなくなり、社会生活に不便をおぼえてしまう」こともあり得るということだ。

 そういう生真面目さが哲学の道に通じるということだ。

 

 聖アウグスティヌスは自身の歩みを振り返るときに、時間の問題に遭遇した。

『告白』の第11巻の十五章にある。

 時間とはなんであるか。だれもわたしに問わなければ、わたしは知っている。しかし、だれか問うものに説明しようとすると、わたしは知らないのである。