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雑草のような雑念と雑考

60年代の対抗文化の負の側面

中華人民共和国文化大革命の嵐が吹き荒れていたころ、日本では全学連がゲバルト抗争を繰り広げ、アメリカ合衆国や西欧でも青年が政治的な抗議活動と対抗文化に熱情を燃やしていた。
 ビートルズが西洋の音楽界を席巻し、フランスでも『毛沢東語録』が流行した時代なのだ。

 その運動そのものを否定ではしない。当時は誰しもユートピア願望がやがて成就するものと信じられた時代なのだから。
アクエリアスの時代」だったのだから。

 しかし、約半世紀をへだてて歴史的な検証をうけると、その負の側面がボロボロと露にされている。

まずは文化大革命。これはカンボジアのキリングフィールドと同様な知識人への暴力的な根絶やし運動であった。それがこの20年来さまざまなノンフィクションで暴露されているし、歴史本でも裏付けられている。
ノンフィクションでは『チャイナ・オデッセイ』、歴史研究系では『中華人民共和国十五講』がその典型例だろう。
 また、小説である『バルザック小さな中国のお針子』は知識人の子供たちの明るく悲惨な青春小説であり、フランスでベストセラーになった。

 最近話題の『反逆の神話』は文化的遺産の完全否定を行った。対抗文化の非合理性をとことん叩いた本である。

 確かに、あの時代の青年たちの運動はマルクス主義を標榜した非合理的な思想にもとづく社会潮流だったというのは間違いない。
 確立した資本社会反対のための反対思想であり、何かを打ち立てるほどのものはなかった。
 ある意味、東欧やソ連社会主義国家の崩壊はその非合理性の故であって、対抗文化活動と根っこの部分は同じものだったから、歴史の表舞台から姿を消したのかもしれない。

現代社会をのぞいて、別の世界はないというメッセージがこの60年代批判にこめられている。

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

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