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雑草のような雑念と雑考

平田篤胤とその幽冥界への憧憬

 数年前、ネットを震源地として「天狗にさらわれた少年」が話題彷彿した。江戸で起きた実話であり、平田篤胤という歴史教科書級の人物が主役の一人であったこともその人気の一因だろう。

 『仙境異聞』や『天狗にさらわれた少年』が復刊されたり増刷されたりした。

本居宣長の最大の後継者であった平田篤胤が入れ込んだ寅吉少年の異界体験談がいまふうのノンフィクションとして、篤胤自身が記録しているのだ。

 同時代人(本居門下の少数派や水戸講道館の一部)は篤胤を山師とみていたのは事実だ。その山師が才気ばしった少年の口車に手もなくひっかかった詐欺事件という側面はある。

 山師といっても平田篤胤はただのほら吹きではない。その門下生の佐藤信淵となると8割くらい山師であるが、その師匠は日本の古来の姿や死後の世界の探求にひたすら情熱を燃やしていた。本居宣長にあった和歌や源氏物語などの「もののあわれ」みたいなみやび(雅)をかなぐり捨てて、古神道をもとにした世界モデルを構築した。

 その手法は荒技だ。白石が残した「采蘭異言」のような蘭学キリスト教経由の世界地誌、インドの記事や仏教文献、道教文献(道蔵)までもすべて動員して、古神道の世界モデルの典拠に仕立て上げている。その方法論は「牽強付会」だと専門家はしている。異国の神々はすべて日本の神々が誤って信仰され伝承されたという原理だから。

 逆の本地垂迹説なのだ。あるいは吉田神道の延長であるといっていいか。

 死後の世界を含む神話的世界の書『霊の真柱』はその到達点にひとつである。服部中庸の『三大考』をもとに上記の和漢洋の知識を総動員したものだ。

 こういう御仁に天才的問題児である寅吉がやってきたのだ。

 フロイトにウルフマンというロシア貴族の男性がもたらした魅惑と混乱にそっくりだ。患者という話者と問う者がいて、その二人の取り合わせが異常な物語を生み出すという状況だ。疑似科学者と食わせ者の出会いという皮肉な見方もあれば、後世に残る症例と逸話になったという見方もできる。

 実は、江戸時代の人びとは憑依やもの狂い、怪異譚はそれこそゴマンとあった。都市伝説の類いどころではなく、知識人にもそれを信じる人が多かった。

 江戸期最大の合理的思想家ともくされる新井白石にしてからが、『鬼神論』でその存在を肯定している。下総の羽生村での少女の憑依事件がそこで引用されている。

この事件はかなり有名になった。それに対処した僧侶が名を成したこともある。

 後の祐天上人だ。高田衛は江戸のエクソシスト(悪霊祓い師)と呼んだ。事件解決をきっかけに将軍家ご用達の僧になるのだ。東急線の祐天寺に名を残している。

 白石の『鬼神論』を読んだ篤胤はさっそく『新鬼神論』をかいているくらいだ。

そもそも江戸幕府の官学の祖、林羅山からして、物の怪に関する要説を17世紀にものしている。怪力乱心を語らぬはずの儒教知識人からして、異界や妖異を説いている。

 しかも神道には融和的であり、仏教を異端視する傾向があった。国学と同じだ。