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雑草のような雑念と雑考

日本文化の独自性の再検討のひとつ

 日本人論というジャンルがあって、それこそその手の書物だけで汗牛充棟なのだ。

ここでは「文化進化」という視点でさらに追加してみた。

でも、時間ないのでシノプシスだけだ。

 大航海時代というのがあって、16世紀から17世紀にかけて西洋の侵略主義的な商業主義者たちが、現在の主要な大陸と島嶼を貿易ネットワークで結合した。

 室町後期から安土桃山時代にかけて南蛮文化が日本にも持ち込まれて、日本も商業ネットワークに組み込まれたわけだ。石見銀山佐渡金山がその名残だといえる。

 日本が歩んだ道はそのあとが異なる。「鎖国」だ。完全な貿易の停止ではなかったにせよ、民間レベルの交易は事実上閉ざされる。

 近世における独自な「文化進化」が徳川三百年で起きたと考えることに本説は拠って立つ。

 現在のいわゆる「先進国」と比較してみると際立つのは、「中世的」伝統が江戸期の日本では温存されていることが顕著だ。

 ヨーロッパ大陸ではキリスト教が過去の多神教信仰を一掃した。その反動から近世が開始しているが、一神教は健全状態での「文化革命」で資本主義と民主制への運動が起きた。いずれにせよ、中世以前の伝統や社会構造は近代化のなかで消失していく。

 中国大陸は王朝交代のたびに文化破壊が荒れ狂うので、例えば唐代の建造物は残っていない。近世は清王朝のもとでの時代だったが、やはりイエズス会により世界観は塗り替えられた。

 中東はイスラム教が支配的であり、その伝統を維持してはいた。しかし、交易ネットワークに併呑されて、インドともに西洋の商業支配に屈した。

 日本の独自性は中世以前の過去の文化や伝統が維持、温存かつ一部醇化した点にある。江戸時代という「近世」は他の文化圏の近世とは異なるようなのだ。

 その典型例が「神道」という多神教の存在だろう。近世の学問として「国学」というのもちょっと他の先進国の学問と異なるものだ。過去の創世神話を近世的な合理性の解釈で丸ごと信じていこうという試みなのだ。民俗学もその系統に連なると思う。

 伝統と文化切断がなかったのが日本の特殊性だということだ。