日本の中世に謡われた庶民の歌謡集が『梁塵秘抄』なのだが、これは中世に生きた人びとの世俗的な精神世界を望見できる、貴重な伝承である。加藤周一などもそのように評価している。
ところで、2021年にNHKで放送された「にっぽんディープ紀行 “昭和”を探して〜キャバレー、遊郭 その周辺〜」で、その歌謡の行為そのものが、昭和の時代まで残存していたことを知り、驚き感じ入った。
次の有名な380番の歌だ。
遊女の好むもの、
雑芸、鼓、小端舟、
大笠翳(かざし)艫取女(しもとりめ)
男の愛祈る百大夫(ひゃくだゆう)
雑芸、鼓、小端舟、大笠翳(かざし)艫取女(しもとりめ)の光景は、西郷信綱によれば、「法然上人絵伝に、つぶさに見ることができるのは幸いである」ということで当時の貴重な風俗であるのは、いい。
百大夫である。
同じく、西郷の指摘によれば、
亦の名を道祖神といい、人ごとにこの像を刻むとある点から推し、つとに指摘されているようにこれは陽物と見てほぽ誤るまい。
こうした他愛のない信仰は、とっくの昔に消え去ったと考えれるのが普通だろう。
しかし、上記NHK番組で報じられた八戸市の「新むつ旅館」には、娼妓たちの遺品として「百大夫」が残されているのだ。
八戸市は江戸時代から明治大正にかけて、三陸海岸の交易の拠点ととして栄えた。昭和の初期頃まで遊郭は営業していただろう。
詳しいレポートはこちらを「青森「新むつ旅館」生きた遊郭に泊まる」を参照されたい。
「金精様」と彼女たちは呼んだらしい。金精は陽根信仰の別称である。江戸時代にはそういう俗信が各地にあった。信仰の対象というより、おそらく頼りとなるごひいき筋の男たちが戻ってくる願いを託したシンボルだったのだろう。それが生々しく残されている。
梁塵秘抄の「百大夫」そのものではないか。
これはちょっとしたAha体験であった。東北はDeepだ。
青森という北辺の地において、中世の伝統がひそかに昭和まで続き、人知れず消えていったのであります。
【参考文献】