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雑草のような雑念と雑考

イスラムと仏教を習合できるか?

 なんでも折衷してきた日本カルチャー。神社の神様たちは古代に道教に染まったし、その系統の神様を受け入れてきた。もちろん、朝鮮半島からの神々の渡来もあった。それにインドの神様たちだって国土に溶け込んでいる。
 中世には神社の神たちはこぞって仏教に帰依している。神宮寺などというものも出現。本地垂迹がはやりすぎの列島だ。大体において神仏習合には500年くらいの同化期間があった。
 ザビエルが招来したキリスト教は土着化したかというと500年も経過していないし、江戸時代の禁教政策があったので日本カルチャーに馴染んではいないのが残念。
 かくれキリシタンの信仰が歩んだ筋道はしかし、キリスト教神仏習合への同化方向を示唆している。
 イスラム教も明治時代に到来したばかりで、200年も立っていない。唯一神&創造神としてのアッラーを日本的な神仏習合なんでも折衷主義がどう対応するかが興味あるところ。
自分なりのシンクレティズム方策を考えてみた。
 早い話、創造神も仏教に帰依に走れば解決する。どちらにしても人格神なのだから自分の存在の永続性には疑念がなくないだろう。つまり、ビッグバンはアッラーが起こしたがビッグクランチで宇宙の手仕舞いになる。その前後のことは唯一神とて責任範囲の外にあるだろう。
 よって輪廻する宇宙は仏教的世界観にゆだねておけばいい....。サンサーラする唯一神を日本列島で確立することになるであろう。

とこんな安直なマージは許されないのであろうか?