銅鐸は古語で「さなき」という。藤森栄一の『銅鐸』でも三河地方の「佐鳴湖」まで銅鐸を求めて旅した話しがあった。「さなる」とも言ったらしい。
これが銅鐸を指すと明らかにしたのは江戸時代の国学者だったらしい。
何のために使われたかと言えば、叩いて鳴らすためだ。銅鐸は空洞なので、叩けば鳴る。さなるという名に相応しい。
ところで、これが神社の「鈴(すず)」になったのはどんな証拠があるのだろう。
それが諏訪大社の鉄鐸(さなき)だ。諏訪地方ではその名のままに今に伝わり、神社の鈴となっているのだ。
藤森栄一『銅鐸』からの図版
学生社はもうないのだね。