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雑草のような雑念と雑考

「様」を敬称とする風

 柳田国男の受け売りであるけれど妙に気になることなので、書き留める。
名前の格別改まった呼び方では、田中様はまあふつうに使用されるだろう。手紙や見知らぬ人へのeメールでも、ふつうに「様」が姓名のあとに置かれる。
 この始まりを柳田国男は「方向」からきたのだと説く。その言をよく聞けばそれほど奇異な着想ではない。

京二筑紫へ坂東サ

 よく知られた方向を示す方言だ。「サ」といのが関東での方向のことであった。様が方角を指すのだが、柳田国男はそこから推論している。

あの人と指ざしたり、または見つめたりすることを失礼とした結果なのである。

 人を直に見たり、指したりするのは避けるという風は外国人からも指摘されているが、この島国ならではの風習だったのだろう。

 これも一つの敬称であった。今でも家々の母は父に対して、ただアナタというのが普通であるが、以前は父のほうから母に対しても、ソナタとかヨナタとかいって呼んでいた。

 アナタも方向なのだ。山のアナタとは、山に住むアナタという人ではない。山の彼方のことだ。
 時代劇でも「お方様」と領主の奥方を呼ぶ。これも方位なのだというのが、民俗学者の説である。
 「方々」という呼び方もそうなると敬意を払うための方位名称ということになる。
しかし、どれも漢字由来ではあり、それほど古い起源の呼び方ではないだろう。
だが、マジマジと直視しては失礼であるという森田正馬の対人恐怖の契機のような言葉作法が心理的回路として島国の人々には配線されていあるのは、なにに由来するのかが気になることで花ある。


 『人の名に様をつけること』はこの巻に含まれている。短いものながら含蓄に富む。