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雑草のような雑念と雑考

平田篤胤の神体験と山怪

 国学者平田篤胤はなにかと話題になる学者だ。戦後は狂信的なナショナリズムイデオロギーの主張者としてやり玉にあがり、民主主義や学問の客観性と相いれない反啓蒙主義の権化としてタブー視されていた。

 江戸思想の再評価の機運が昭和晩期に盛り上がりを見せ、その余波として平田国学の積極面を掘り出す試みが平成期起きた。

 民俗学では、これよりも早く柳田国男折口信夫平田国学の積極面を戦後すぐに言い立てていた。その志がようよう他の学問にも伝心したような感じである。

 積極面とは『仙境異聞』や『勝五郎再生記聞』のようなテーマだ。

そもそも、篤胤は脱藩したおりに「神体験」をしている。

 冬のさなかに東北の院内峠(現在の雄勝峠)で遭難寸前に陥った。場所は山形県最上郡真室川町秋田県湯沢市の間だから、標高400m程度である。

大雪のなか、たった一人の篤胤は寒さと疲労で方向感を喪失した。途方に暮れた篤胤に

はるか樹上から「ひだり、ひだり」と「太と太としい声」が三度、響いた。危機を脱したのはその導きであり、神との接触であると篤胤は確信した。

 この原体験が篤胤の神の希求につらなったと吉田真樹は指摘している。

ここで参照したいのが、ここ数年静かなブームになっている『山怪』の体験談だ。

 篤胤の体験はけっして孤立したものでないことが、よくわかる。それを神とするか霊とするか、怪現象とするかの解釈差異があるだけだ。

 神無き世である現代では無理からぬことだろう。

 時代をさかのぼるほど神や不思議はありきたりで身辺に経験者が多かったと考えてよい。未知の体験を仔細に解読してくれる専門家は僧侶か薬師か寺子屋の先生くらいだったろう。今日では心理学や精神科の先生やら、ユング派のカウンセラ、疑似科学の批判専門家、心霊現象の専門家、科学ライターやジャーナリストなどなど、おまけに畑違いのはずの物理屋まで口を出してくれる。多士済々か、船頭多くして船山に昇るかしらん。とにかく素人は専門家の意見で気に入ったのを選べばいいだろう。

 篤胤先生の頃は選択肢は少なかった。直截に神であると彼は断じたのだろう。

えらいのは、生涯にわたり日本の神を研究したことだ。手に入る限りの知識と体験談をすべてこの探求に注ぎ込んだ。だからこそ晩年には4000人もの門下生がつくことになる。それでも、彼はただの山師だろうか?