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雑草のような雑念と雑考

柳田国男と異界の接点

 明治時代。日本は文明開化の名のもと、あるいは富国強兵のほうがふさわしいだろうが、短期間で近代化を成し遂げようとしていた。

日清・日露戦争での勝利が名実ともに近代化の証明だとすれば、柳田国男(1875年〈明治8年〉- 1962年〈昭和37年〉)の社会人としての活動時期は、にわかに成立した近代国家の外面の内側に多くの前近代の生活慣習が残存していたといえる。

 柳田国男は民衆の怪異などの異界体験を始めはその実在を信じ、その生涯を通じて視点をかえながら論じ尽くし、昭和30年代の晩年に自分がやがて行きつく果てとしての異界を見出した。

 異界や怪異(妖怪や幽霊など)についての複眼的で主観的な見方があることを自分としてはここでお伝えしたい。民俗学ともいえるし、現象学といってもよいだろう。


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 彼が初期に発表した『遠野物語』(明治43年・1910年)はその時代の民衆の精神世界を特異な表現で残してくれている。柳田とっては怪異は生きて活動していたのだ。また、同時期には「千里眼事件」(1910年)が起きていることも言い添えておこう。

 その序文には「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」なる宣言めいたメッセージがある。

 文明開化したと思い込んでいる同胞たちよ、それは上っ面だけなのだよ、と言いたげである。民衆の心の深層はもっと複雑なのだよとも。

 だからこそ、子孫であるわれらの心象風景を刺激して、深い共感を呼び起こす。

 その印象的な話しを引用しよう。

佐々木氏の曾祖母そうそぼ年よりて死去せし時、かんに取りおさめ親族の者集まりきてその夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心のため離縁せられたる婦人もまたその中にありき。の間は火のやすことをむがところのふうなれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡いろり両側りょうがわすわり、母人ははびとかたわら炭籠すみかごを置き、おりおり炭をぎてありしに、ふと裏口の方より足音してくる者あるを見れば、くなりし老女なり。平生へいぜい腰かがみて衣物きものすその引きずるを、三角に取り上げて前に縫いつけてありしが、まざまざとその通りにて、縞目しまめにも見覚みおぼえあり。

 あなやと思う間もなく、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取すみとりにさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり。母人は気丈きじょうの人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打ちしたる座敷の方へ近より行くと思うほどに、かの狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。その余の人々はこの声にねむりさましただ打ち驚くばかりなりしといえり。

  「丸き炭取なればくるくるとまわり」と「狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり」のシークエンスは三島由紀夫が指摘しているように絶妙な語り口である。匿名の民話や昔ばなしとは異なり、佐々木鏡石という大学出の文人の語りとその実在した祖先が体験し伝承したというのが、異色なのだ。

 今でも異界を垣間見たとする実話めいた体験談や都市伝説のように姿をかえて出現している。SNSや出版物にも怪異な語りが生き残っている。

 

 柳田国男の経歴も前近代とは程遠いものだ。

   出身は兵庫県の田舎の貧家であるが、東京帝大卒で農政官僚をえへ、貴族院書記官長まで務めたエリートだった。国際連盟の関係の仕事でスイスに派遣された経験もある。

 そんな役人生活のかたわら、『遠野物語』『石神問答』『山の人生』『山島民譚集』と民衆の前近代性(原始的心性)の探求、それも「異界」の情報収集といった活動を行う。

 1919年に貴族院書記官長を辞任するまで、二足の草鞋をはくというのがぴったりの二重生活を続ける。転職したのは44歳の壮年期だ。朝日新聞社に拠点を移しつつ民俗学の確立に情熱を注いでゆく。

 ここで初期の作品を振り返っておこう。

『石神問答』は東日本に多くみられる地名、しゅく、さく、などとともに、の信仰の跡地(石神系の神社)から、次第に諏訪の隠れた神、ミシャグジという異界の神につきとめるまでの文人たちのコミュニティのログだ。

『山の人生』は山人という常民と異なる世界の山の民の追跡を文献的に行う。竈門丹次郎の一家惨殺のシーンはこの本の最初に描かれた事件を連想させる。あの『千と千尋の神隠し』も本書の「一四 ことに若き女のしばしば隠されしこと」で女性の異界への逃走あるいは神隠しがヒントになっているのではないか。

 また、最近話題になった『山怪』にも同じモチーフの話しが書かれているのだ。

『山島民譚集』は河童の再生のきっかけになった。

 江戸時代には正統な博物誌にも記載されたほど当たり前な「動物」だったのだが、近代人は河童を忘れ去っていたのだ。河童が知識人に再認識されるきっかけだった。

 芥川龍之介の『河童』はこの本なしには書かれなかったろうし、水木しげるの河童もの漫画もそうだろう。

 つまり、異界の実在に対して大きく踏み込もうとしたのが初期作品群だ。

 『遠野物語』の冒頭に謎のメッセージがある。

 この書を外国に在る人々に呈すだ。

 近代化=欧化に魂を奪われた日本人が「外国に在る人々」だとすることもできよう。

 この後は「常民」のノーマルで定常的な精神世界に関心を移してゆく。『木綿以前のこと』『桃太郎の誕生』『日本の昔話』『地名の研究』などなど枚挙にいとまのないほど重要な著作が書かれてゆく、『蝸牛考』のような方言も扱う。異界については背景に遠ざかった感がある。ただし、お化けを扱う『妖怪談義』もこの時期の所産だ。

 

 柳田の最大の弟子でライバルでもあり、独自の境地を開拓した折口信夫によれば、

一口に言へば、先生の学聞は、「神」を目的としてゐる。日本の神の研究は、先生の学問に著手された最初の目的であり、其が又、今日において最明らかな対象として浮き上って見えるのです。

 紆余曲折もあったが、柳田は日本人の「神」を究めようとしたとした。それは民俗学は何でも信仰に結びつけようとするとある人文系の学者の漏らした不満にもつながる。

 

 太平洋戦争の結果、つまり、敗戦は柳田に深刻な影響を与え、大きな路線変更を強いる。それは、誰でもそうだろう。

 日本人の魂の行方、そして神に視界を転じるのだ。

 最晩年に近い時期にものした『魂の行え』で柳田はこう書き残した。

 日本を囲繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠い処へ、旅立ってしまふといふ思想が、精粗幾通りもの形を以て大よそは行きわたって居る。独りかういふ中に於てこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念して居るものと考へ出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず限りも無くなつかしいことである。

 これが近代人、柳田国男が長い探求の末に行きついた先である。「故郷の山の高み」に魂が居場所を移し、子孫を見守る。柳田の近辺にいた人々の話によれば、この老人は文字通りそう信じていたようだ。

 つまり、自らが異界に移り住むことを望んだのだ。異界の手探りから始まった人生は異界に移すむことで終わると要約してもいいのではないだろうか。

 

 自分のそこはかとない柳田作品群の彷徨をライフサイクルでイメージしてみた。

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山島民譚集 (東洋文庫 (137))

山島民譚集 (東洋文庫 (137))

  • 作者:柳田 国男
  • 発売日: 1969/04/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

山の人生 (角川ソフィア文庫)

山の人生 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:柳田 国男
  • 発売日: 2013/01/25
  • メディア: 文庫
 

 

  自分にはこの本が世に隠れていることが納得できないでいる。

石神問答 (国立図書館コレクション)

石神問答 (国立図書館コレクション)

 

 

 田中康弘の『山怪』から「狐と神隠し」を要約しておこう。

 新潟の秋山郷で起きた事件だ。

夫婦は四歳の一人娘をいつものように山の畑へと連れて行った。いったん畑仕事に出ると夕方までは帰らないから、それが当たり前になっていた。夫婦が畑仕事してる間、娘はその傍らで花をむしったり、蝶を追いかけたりして遊んでいる。仕事に精を出しつつ娘の様子を伺うのが何より夫婦は楽しかった。

 そんなのどかな出だしだが、娘がかき消すようにいなくなる。村は大騒ぎ。

誰もが知っている場所だった。奥山の入口だが、なぜか平地があって、狐が出るとか天狗が出るとか言われている場所だ。

「そこの大岩の上にちよこんって座ってニコニコしてたんだぁ」
その大岩は大人でも登るのに骨が折れる大きさなのだ。。いやそれ以前に、その平地まで子供が一人で行ける訳がなかった。この娘さんは、現在結婚して長野県栄村の中心部に住んでいる。

  この話しで道志川で謎の失踪を遂げた女の子の事件を思い出す。神隠しであれば、再び里に下りてきてほしいもうだ。

 

  「山人が語る不思議」とあるのは『山の人生』との不思議なエニシだ