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雑草のような雑念と雑考

極端すぎる民族性

 お隣の民族は極端さを好む心情のようだ。李朝時代には朱子学を極限まで推し進め、仏教を捨て去ってみせた。
 韓国は過去の遺産を洗い捨てさるために、ハングルだけの文字社会を現出した。漢字文化の伝統を尽く埋め立てしたのは、儒学万能の思想的伝統から脱皮を図ろうとしたかのようだ。
 そうはいってもその北の隣国は李朝時代に逆行した独裁制を維持している。
民衆救済のマルクス主義を採用した挙句の果てが、東洋的専制君主国家に変貌した。すべての人民を恐怖により支配する圧政国家だ。
 これはこれで注目するに値する社会現象である。過去の歴史的教訓を書き替えて主体(チュチュ)思想なる神話を編み出したとことは、独創的で東洋的である。
 これほど特異的な国家は21世紀の今日、他にはないのではなかろうか。
それはともかく、仏教や儒教の伝統を押し殺した朝鮮文化の知的遺産というのは、価値を大きく失う。民衆のあいだに残る土俗的風習や芸能だけは喩えようもなく貴重であるけど。それすら権力者や知識人たちは軽視している。

 このように文化的伝統をすべてウォッシュアップする民族は類まれである。すべてがその時節の民族感情的な反応で政策や文化が豹変するのだ。
 なので、三国時代新羅やら高麗王朝、李王朝時代のことなど客観的に語るべき余裕が隣国の国民感情からして、ないのではなかろうか?