ナショナルジオグラフィックの記事で『虹の橋』の起源に関するものを読んだ。
60年ほど前のスコットランド人女性の詩がもとになった伝承らしいということである。
事程左様に人々の慣習は移ろいやすい。この件に関する日本人の慣習について、二つの良著がある。
中村生雄の民俗学な考察から読み取れるのは、近世までの動物供養は殺生肉食への罪障消滅を願った共同体の行為であったことだろう。それは仏教伝来に始まるのだが、放生会が生じたのは神社であったことは、それが民間信仰レベルでの祭祀の開始と考えてもいいようだ。室町時代あたりから神々が陸続と仏教帰依をはじめる時期とも重なる。
それらの物的遺物として津々浦々にあるのが、動物塚である。その種類の多さは鵜飼秀徳の書物『ペットと葬式』を紐解いてみるとよい。
飛鳥時代に犬塚が生まれ、馬や虫も塚に祀られる。品川のクジラ塚は自分も訪問したが、浜名湖のウナギ観音は未踏である。
しかし、これらの塚と近年のペットロスとその供養は社会的文脈が異なるのは言うまでもない。
塚は業者や共同体の祭儀に関わる慰霊の象徴である。シロアリ塚やバッタ塚などはやむなく犠牲になった生き物への殺生を生業とする共同体の鎮魂と慰霊である。ケンタッキーが「チキン感謝祭」を関東の東伏見稲荷神社、関西の住吉大社を行うほど、それは染み渡っている。
それに対して、ペット供養は個人の慰霊と鎮魂の儀式である。言い換えると自己のための慰謝であり、癒しの儀式なのだ。
でも、それが慣習化したのはここ2,30年なのだ。亡くなったペットにはどう響くのかは宗教的信念な領域なのだろうが、どうやら在来宗教とは関係があまりないと思える。
注記:ペット供養に熱心な姿勢を見せるのが浄土宗系であるのは興味深い。キリスト教もイスラム教も動物には魂を認めていない。仏教は六道輪廻を主張するくらいなので動物供養は無関係ではないが、それでも伝統的な信仰と直接的な関係はないだろう。
他方、神道のような古い痕跡を残す宗教はこの供犠と因縁は深いのだろう。