ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

相対主義者としての言い分

 自然科学は、もはや、真理を追求する知識の唯一無二の集合体でない。
例えば、スコラ神学と自然科学体系はそれほど距離感はないだろう。究極の真実からは両者とも十分に遠隔地点にある。
 未開社会のアフリカ人の創世神話とビッグバン理論は、その精緻さとその根拠、その説得力にはだいぶ大きな差がある。しかしながら、それも程度の差でしかない。
 ここまで相対的な立ち位置を自分がとるのは、「科学技術」の成長の限界が明瞭な事実であると信じられるようになったからである。
20世紀の中葉までの勢いが科学技術にあれば、相対主義者とはならずに済んだ。したが、科学技術の今の有り様はその潜在力を喪失し、人類の生存自体を危うくするものとなりはてた。
 今後、どのような科学革命も期待できないことを予期させる。
 物質の謎をめぐる理論のブレークスルーは起こりえないであろう。クォークを操作できないし、バリオンを自由に操る工学が生じ得ない。人類が駆使できるエネルギーの上限があるからだ。地球上のエネルギーには限りがあるからだ。
核融合は地上で制御しえないままに終わりそうだ。その前に熱的な飽和を大気が迎える可能性も高まっている。
 宇宙はその扉を閉めつつある。人類の惑星間移住や恒星間旅行はありえないであろうから。そして、それは地球環境を破壊しかねないからだ。
 化学物質はいたずらに増大し、その安全性は未知数のまま生活空間に拡散してゆく。近隣の種(脊椎動物)を巻き込んで生態系を破滅させるかもしれない。
 医療はガンや老化を克服できないであろう。それは人口爆発を招くからだ。

 科学技術は肥大しすぎて、地球上で身動きがとれないジレンマに追い込まれていく。こんな有り様は相対主義化を促進するのに十分な根拠となるのだ。