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雑草のような雑念と雑考

木村敏『時間と自己』

 ハイデッガー道元を合わせ読み込みして、時間の内在的な特質に迫る。木村敏のような鋭敏でボーダーレスな知性ならではの思考と手腕だろう。

 木村によればアリストテレス形而上学の時間論はハイデッガー経由で解釈学的に読解するのが、より始原的か。自然科学の「時間」は幾何学化され記号化されて、さらに計数化されて無味無臭な抽象概念になっているが故に、至る所で役に立つ。「もの」化された極限としての「時間」論ならば、自然科学の独壇場だろう。

 でも、それはクオリアを欠く。つまり「こと」にはなりえない。私がいまここにあること。これが内在的な時の在り方だろう。やはり原初のことばで質感を帯びた「とき」を語り尽くす方が、「時とは何か」という問いには寄り添っているのだろう。

 木村敏は専門の哲学者ではないから、かえって時間の不分明に分かりやすい道しるべを与えてくれるのかな。

 惜しい人物を亡くしたものだ。