ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

ディックのヴィジョンを読み解く

 ディックといえばSF作家のフィリップ・キンドレド・ディックだ。

彼の作品はいまだに光芒を放ち、一部の読者を魅了しつづけている。

ひと頃の英米SFの三大巨匠、ハインラインアシモフ、クラークはディックに比べるとアクチュアリティに乏しいと感じる読者がいて、自分もその一人だ。

 映画の原作としても、

ブレードランナー(1982年)
トータル・リコール(1990年)
バルジョーでいこう!(1992年)
スクリーマーズ(1995年)
クローン(2001年)
マイノリティ・リポート(2002年)
ペイチェック 消された記憶(2003年)
スキャナー・ダークリー(2006年)
NEXT -ネクスト-(2007年)
アジャストメント(2011年)
トータル・リコール(2012年)

 とこれだけある。あのヒューゴ賞受賞作でもある奇妙なパラレルワールドの『高い城の男』でさえ、Amazonオリジナルドラマになった。

 しかし、彼はそれ以上にアメリカの21世紀の現実を予知していたと思う。

 陰謀論がまかり通るような現実と幻想が入れ混じるメディアと言論、オピオイドや鎮痛剤などのドラッグ漬けのアメリカンスピリッツ、そして社会的&政治的なエントロピーが荒れ狂うアメリカ社会を、1982年に死去したこの作家は如実に物語り化したといっても言い過ぎではないのでないか。

半世紀前の預言者と言えるのではないか?

そして、苦悩する預言者としてのディックの論評はなかったのではないかなあ。

 でも、その理由を余すところなく立論した批評というものにはめぐり逢うことはなかった。確かにスタニスラフ・レムの『俗物に囲まれた幻視者』なるディック論は卓越していたが、なぜ21世紀の今なおディックが現実に突き刺さるビジョンを持ち続けているいるかについてはまでは、説きおよんではいない。

 しかし、その渇きを満たしてくれるフランス哲学者が現れた。というか、そのディック論が翻訳された。これはウレシイ。

 著者のダヴィッド・ラブジャードはジル・ドゥルーズの研究で著名なヒトらしいが、

切れ味は鋭いし、そのディックの作品の読み込みには啓発されるものが多すぎる。

 例えば、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』の主人公の名はルネ・デカルトをもじり、リック・デッカードだった。そのテーマはデカルトの動物機械論を射程に入れている、など誰が知っていただろうか?