ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

【痛い理論】相対論効果の確率的解釈

 特殊相対性理論でおなじみのローレンツ因子は物体の速度により、静止系にいる外部観測者からは収縮して見える、というものだ。
 その意味としてはミンコフスキー空間における4次元回転として、自然に解釈されるというものが定説となっている。また、古典電磁気学とも見事な整合性を形成しており、まったく異論の余地がないとされる。
 したがって、その「確率的解釈」なるものは、マアマアなお間抜け見解という扱いをうけるのは必定であろう。

 ローレンツ収縮は確率値としての性質、十分条件は満足している。正であり、1以下である。
ではなぜ、「確率」なのか?
 運動の性質を考えよう。ゼノンが指摘しているように運動する矢にはある抜きがたい矛盾がある。それはある一瞬では静止している見えながら、実はそうではない。エレアのゼノンはここより「運動の不在」を導き出した。
 そうではない。存在の希薄化を導き出すべきだというのが、ここでの一時的な主張である。
その希薄化とは、ここにありながら、一部はそうではないというゼノンの矛盾そのものである。
ヘーゲルは運動の本質を矛盾の解消とみなしたが、そうではない。運動は、むしろ、物質の本質である。解消されるような一過的なものではない。分子運動論や量子論ではミコロ世界での運度の本来性をその原理にしている。マクロ世界でも熱力学第三法則は熱の除去し難いことを定式化した。
 運動には矛盾があり、物質から運動を切り離せない。それを理論化したのが特殊相対性理論であり、ローレンツ収縮なのである。
そして、その数理的解釈は「存在の確率」である。運動している物体はこの世にありながら、この世にない。ミンコフスキー空間の一部に回転しているからである。だが時間次元方向に回転するとはどういう意味なのだろうか?
 同じ時空の地平にあって異次元に埋没するとは何事か?
一種のモーションブラーである。