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雑草のような雑念と雑考

もっとも相性の悪そうな二つの専門職 コンサルと哲学者

 どんな一流のコンサルタントでも哲学者にはなれないだろう。そもそもこの二つの専門家には共通性は、からきっしないのではないか?

 コンサルタントは実利を追求する。それも、自らは体を動かさないでクライアントの実利向上を介して実利を追求する。過去の職業で似て非なる者は軍師や参謀であろうか。上流のコンサルタントは戦略コンサルタントなどと呼ばれる。しかるに、軍師・参謀は使える主に対して忠誠を尽くし、見捨てることはない。コンサルタントは金の切れ目が縁の切れ目となる。

 よくWin-Winなどといったりするが、利他行動では全然ないのは明らかだろう。

 コンサルタントの問題提起は必ず、答えがある。ビジネス上の問題はたいがい、お金をコンサルタントにもっと払えば解決できるというのが業界の慣行だ。 

 その満々たる自信の根拠に関する素朴な疑問などは、致命的な、死に至る病だったりする。自分の言動の真実性を豪も疑わないし、その虚妄性を問うたりはしない。

 そのわりにはメンタルに落ち込むコンサルタントもいないことはないだろう。

 

 哲学者は実利追求と無縁としていいだろう。かつて、タレスが金もうけに走ったり、ショーペンハウエルが訴訟で財産を確保したりする例がないことはないが、稀有だ。

 誰の実利も関係のない、現実世界の成立ちについて、誰にも答えられない問題提起に余念がない。彼らの職務モチベーションは誰がもっとも根源的な問いかけを提起できるかにあるような気がしてならない。コンサルタントのソリューションに類するものはない。

 コンサルタントは「無知の知」などとは口が裂けても言わない。ソクラテスのようにクライアントを判断中止の状態に置き去りにしたら、売り上げ機会損失になる。

 哲学者といえども、たまさか現実世界の問題と付き合うこともある。その場合、他の専門家との折り合いをつけたり、市民とのコミュニケーションを成立させるまでにとてつもない労力を必要とする。ビジネスに直結するような経営上の問題について哲学者を招き入れることはないだろう。それは、確実に失敗が約束されている。

万が一そんな事態が起きたとしても、許される。なぜなら、その費用をせびらないから。

 哲学者はメンタルにはめっぽう強い。その性質上、陰気で憂鬱なところが哲学者の気質だから、これ以上悪化することはない。自殺した哲学者もいないこともないのだが、稀有だ。現実との折り合いなんかから超越しているということも預かって力ある。

 

 かくて、コンサル哲学者などという人種が出現したら、それこそ末世&末法の世の中なのかもしれない。

 

【事例紹介】

 自殺したコンサルタントの事例は幸か不幸か知らない。自殺した哲学者(著名なケースに限る)は現代だとジル・ドゥルーズに指を折る。それとドイツのマインレンダーはより本質的な自殺遂行を行っている。前者のフランス哲学者は肉体上の苦痛が主因であるのに対して、マインレンダーは人生が生きるのに値しないという主張の締めくくりとして自己の消滅を企図したからだ。

 ストアのゼノンも類似ケースだろう。高齢の自分は生きるのに適していないと判断して息を止めたという逸話が伝わる。

 ソクラテスの死はその意図とは別にして、自殺といえない。国家の指令に従い刑死の手順として毒を仰いだのだから。セネカの自殺もそれに近いだろう。