戦後、日本を代表する文学者であり論者であった氏の死については、その志を誌する多くの礼賛が語られているので、それとは見当違いな感想を書き残す。
太平洋戦争の敗戦は、それまでの近代化の路線に対して全面的な見直しを迫った。
まず間違いないと思われたのは英米流の民主主義、「曖昧な国」ではない自由で民意を尊重する言論の国だ。人びとの能力と責任を信じるリラリズムだ。
それは、一時期、それが確かな進路となると信じられる時期があった。
ではあるが、もはや、その期待は幻滅にかわる。曖昧さを捨て去ると日本では息苦しくなるし、すべての人が個と自由を求めるわけでも持っているわけでもない。そのための論陣を張る言論能力すら怪しい。
なので、平成時代後半からの氏の存在はけむったい理想論を固守する頑迷固陋な知識人というイメージしかなかった、少なくとも自分には。
大江健三郎が憧憬するモラルや慣習はこの国には根付いていきようもない。そのおおもとにあった英米系のリベラリズムや文化も衰兆を示している。だったら、川端康成の「美しい国」に戻ったほうが、まだ、日本的なのかもしれない。
つまり、氏の志はその試とともに死によって滅失したような感慨をもったというのが、この駄文の結尾となる。