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頭がバグる老子のテキストの歴史

 不勉強ながら、『老子』はかつて老子という単一な賢者が一気呵成に書き残した文書だと思ってました。

 しかしながら、帛書老子が発見されたあたりから、頭が混乱するようなテキストの成立ちがあらわになってきていたようです。

 現状の老子は上篇と下篇に分かれていて、それぞれ「道」と「徳」を論じる章が初めにあるため、「老子道徳経」と呼ばれてます。「道徳」は儒教由来ではなく、道教由来なのです。

 81章5000言と俗に称しています。上篇が37章、下篇が44章です。

 この標準的テキストは708年の「道徳経石碑」というのがもとになっていたのですが、1973年の馬王堆(まおうたい)の第三号漢墓から紀元前200年頃の「老子」のテキストが二種類発見されました。

 これが帛書老子です。前漢の時代ですわ。

 老子が生存していたのは春秋時代でして、前500年頃とされてます。300年経過後のテキストですね。

 帛書老子の2種の版は甲と乙と名付けられ、異同が点検されてました。それぞれ、現存版と微妙な異同がそこここにあると素人的にまとめておきましょう。一番の相違が上と下が入れ違いになっていることでした。

 驚くべきことに1993年に湖北省荊門市の第一号楚墓から、現存版老子の3割相当を含むテキストが発見されました。竹簡で残されていたこともあり楚簡と呼ばれます。年代は大体、戦国時代の終期とされます。帛書はシルクだっかな。

  古い順からいうと、楚簡→帛書→道徳経石碑 となるわけです。

 内容は、大まかにいえば、帛書よりも古い純朴(アルカイック)で単純なテキストなのですよ!言い回しが素朴なのです。より原型に近い。でも老子が書いたのが原型というのは、従来の信念でしかないわけです。

 同じ章であっても、文言が修飾追加され分かりやすもなれば原義が喪われていく部分もあり、一筋縄ではいかない変遷を示しているのがわかってきたのです!

 五千言の数割は無名の写本生かつ思想家たちの思念が老子の名のもとに組み換えられて生まれてきたといえる。後世の付け替え、組み換えの結果が、我らの『老子』という聖典老子を核にした無名の人びとの想いの結晶体だということなのだ。

 荘子などと比較するとその特異性がわかる。荘子の古テキストは発見されたことがない。権力者たちはより老子のパワーポリティクスと研ぎ澄まされた格言に魅せられてきた。だから、権力者の墓に埋めらていたのだ。荘子は民衆的で、老子は貴族的なのだ。

 王侯貴族が老子を枕頭の書にした理由は帛書のなかに「黄帝四経」らしきテキストが含まれていることでもわかる。古代の聖王の統治の精神を伝える書と考えられていたようなのだ。

 2000年前のテキストが日の目を見るというのは、おそろしく学びがあるものだ。インパクトは素人の自分にもある。古代の書物、そして古代の智慧とは民族精神の沈殿物のようなのだ。著者や著作権とは近代の作り出した利権、つまりは、権力と利得と名誉ががっつり三つ巴になった法的な概念のようなのだ。

テキストの読みについて一言。

 老子テキストの含蓄の深さは「大器晩成」を含む41章の一行をとれば、わかる。

 「大方は隅なく、大器は晩成し、大音は声幽かに、大象は形なし」

 方とは空間のこと。その大きさには「隅」がない。限りないということです。道の無限性を示唆する。

 大器晩成とは人の成長を示す格言ということになっていますが、この文での大器は人のこととは限らない。それを含んだすべての入れ物です。入れ物の中は空虚なのです。

 大音は声幽かとは、可聴域をこえた無限の響きは聞き取ることが難しい。大象は帛書では天象となっていたのが、大という無限の意味に揃えられたらしい。その形態は把捉しがたい。

 道と一体となるためには、その無限性の理解が肝要なのだ。だが、その道は容易に把捉しがたいともいう。

 かくも複雑で曖昧で抽象的な意味を漢字と文に盛り込んでいるのが老子の格言性であり、宗教性なのだ。

 

 【参考文献】

 老子のテキストの変遷についての解説はこちら。原文の最新の読みもこちら。

福永版の後継テキストだろう。上記の情報はほとんど蜂屋氏の本に基づきます。