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ふるべゆらゆら  鎮魂のわざ

 物部氏が守ろうとしたものが何であったかを推測するのは難しい。ここで念頭においているのが、仏教伝来をめぐっての蘇我氏聖徳太子らと物部守屋との戦さである。

587年の丁未の乱である。物部側の敗戦で天皇家及び豪族たちの仏教崇拝は加速する。

さて、「先代旧事本紀」という偽書がある。偽書といっても古い独自な文献に由来する情報を含んでおり、物部氏系の著者による作と推定されている。

 ここにある十種の神宝は並々ならぬパワーをもった神具であり、物部氏系統はそれを操ることが許されていたという。

オキッ鏡、ヘッ鏡、ヤシカの剣、イク魂、ダル魂、マカルカヘシの魂、チカへシの魂、オロチの比礼、ハチの比礼、シナモノの比礼

先祖崇拝だけでなく蘇りと新生の呪力があるという。死せる者も生き返る技なのだ。

 その呪法は鎮魂(たまふり)であり、そのことばが「ふるべゆらゆら」である。

この十種の宝をヒト、ブタ、ミ、ョ、イッ、ムュ、ナナ、ヤ、ココノ、タリと布留部由良由良に布留へば死せる者も生き返りなむ。

 「ふる」とは振るであり、降るでもある。古いにも「ふる」の痕跡があるのだろう。ふるという動作は人のものであり、霊の所作でもある。たまとは玉であり、御霊である。曖昧な語感にその神秘さを保存しているのが古い日本のことばなのだ。

 鎮魂(たまふり)は神宝からパワーを生みだす聖なる儀式であり、物部氏はその管轄者だった。

 仏教はそうした古代の呪術と伝統を封殺&否定するものとして、古代的な信仰をもつ物部氏たちの権威を脅かすものだったわけなのだ。

 そして、もうひとつ。

 四天王寺聖徳太子がその折の戦勝祈願によって創建されたという。その一角にいまでも「物部守屋の祠」があるのだ。

 さすが「和を以て貴しとなす」の太子の有言実行とみるべきか。敵を取り込む姿勢は懐の深さを感じさせる。

 

現代音楽家柴田南雄もこの神社の祝詞に魅せられた。


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民俗学者谷川健一は守屋の祠を通じて、四天王寺の境界性を語っている。

 

 

物部氏の素性を調べているのがこちらだ。