ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

信用の無際限な膨張の意味するもの

 かつてローマ帝国がその統治範囲を拡大したのは、経営主体(ローマの有産階級)の生産手段(労働、土地、資本)を増殖させるためだったろう。
 富国とは領土拡大にともなう生産手段の増強であり、その生産物は領土拡大自体(軍需)や移住/人口増(民需)に費やされた。
 19世紀から20世紀までの列強による世界分割は「帝国主義」と呼ばれた。帝国主義は「領土」という土地と住民の獲得に注力したが、やがて20世紀後半になるとそうした領土拡大の流れは停滞した。2度の世界大戦という紛争への経済的代償があまりに大きすぎたのだ。
 そこで民需開拓への転換が大きな流れになった。ふつうの市民生活の経済的開拓、すなわち消費の高度化、生活手段のサービス代替が進行した。それが21世紀現在の「資本主義」のあり方だろう。
 多チャンネルで双方向型の情報通信、五輪やサッカーのようなスポーツ催事、カラフルで多能な芸能ミン、越境するフードカルチャー、クルマ、ワールドツーリズムなどにより「資本」活動性が高揚する仕組みが生み出された。
 さらに『テクニウム』を参考にしたまえ。溢れ出る豊富な商品が生活の被覆面になっている。「自然」は商品の背後にあって生活は消費する行為と等価だ。世界は相互依存しあうようになり、アウタルキーは切り刻まれた。

「信用」は異なる増殖手段を見いだした。人の数だけの経済活動が基調となった。しかし、それが生存可能な「自然資本」の不可逆的な消尽にあるとすると、信用の自己増殖は自然資本への支払いを先延ばしにしているだけなのだろう。
 現在の高度な消費=生活行為は一過性のイリュージョンになる。