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スー・チー女史の反日発言に思う

 訪韓中のスー・チー女史が日本が過去の過ちを認めていない(2013年2月1日付記事)とした発言を読んで、おやおや〜と思った。
 おそらくは韓国の方に、とくに新女性大統領に親密感をもったため、アジアではどこよりも早く韓国を訪問したのだろう。日本よりも早く訪問しているところがポイントだ。
そこに、この発言の布石がある。
 彼女自身の歴史観からして、ミャンマーの独立は帝国主義者同士の殴り合いのスキを突いて、自力だけで勝ち得たとしていることは推察がつく。
 その帝国主義者とはイギリスと日本だ。領土拡張主義のぶつかり合いでミャンマーの地に政治的空白が生じ、そのオリを伺って彼女の父親のアウンサンら独立運動の闘士たちが自力で獲得した独立だというものであろう。
 アウンサンらの有為の人材が日本で軍事教練をうけ、さらにミャンマーの地で白人が黄色人種に追い落とされる、そういう白人優越人種差別の植民地時代の衝撃を無視するのは、まあ、それはそれでいい。
 軍事政権と対峙してきたスー・チー女史がかつての日本の軍国主義を嫌悪するのも想像のうちだ。そして、韓国は同時期に日本の帝国主義のもとで呻吟していたのだ。とくに、それを軍事的帝国主義としても間違いはないだろう。
 次期大統領の朴槿恵の生き方がスー・チー女史とよく似ていることも指摘しておこう。苦難の半生ということだけではなく、ともに父親が日本で軍事教練を受けていることだ。朴槿恵の父親は元大統領朴正煕は、日本陸軍士官学校の卒業生なのだ。そして、両者とも暗殺されている。

 それにしても、この発言は単に偏向した物言いだと思う。
 彼女が旧宗主国のイギリスで歴史と政治学を学び、民主主義の本拠からの歴史観を体得したこと、それにリベラルなイギリス人と結婚して東洋的なものを忘れさってしまっているようでならない。
 日本の軍事的帝国主義化の根本原因は西洋諸国の世界植民地化にあるのだから。イギリス人の民主主義思想は日本に欠如していたのは確かだが、そうかと言って欧米列強の人種主義的な植民地統治は、非植民地の住民を民主主義の対象外としていたのを忘れてはならない。
 少なくとも日本の朝鮮支配は「皇民化政策」という民族同化政策であったので、(それが朝鮮民族のプライドを著しく傷つけたにせよ)欧米列強の差別主義は別物だろうと信じる。あのアーリア主義に毒されていた同盟国のナチ・ドイツとも異なる。
 多くの過失があったにせよ大日本帝国帝国主義は、立場上アジア民族を同朋とみなしていたことを忘れてはならない。孫文やバー・モ・ボウ、アウンサン、中村屋のボースやチャンドラ・ボースは、それは理解していたろう。
 日本の戦争責任を責めるアジア諸国は、まだ、その側面を評価出来るほど史観が成熟していないと思えるのだ。
 
 そこから生まれてくる危惧がある。女史の言動は支持者である民衆の動きを単なる自由と平等だけをすくい取ってだけであるような気がするのだ。果たして土地から離れた半可通西洋精神が、東洋の地べたの民衆をどこまで教道できるかへの危惧そのものだ。

 いずれにせよ、ミャンマー民主化は経済成長を目指すための布石であり、第二の試練のゲートが開かれたわけだ。