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インド人よ、来たれ!

 東京裁判東条英機の禿げ頭をたたいた後、「インド人よ、来たれ!」と叫んで退席の憂き目にあったのは、国粋主義者であった大川周明であった。

 個人的な話だが、仕事上の接点があった家族で来日していたインド人のエンジニアがいた。優秀な人でしたが、その後彼は日本の製造業に職を新たに得たと聞く。

 うん、まさに、インド人よ、来たれ!だ。

 大川が退席した時にはインド人のパル判事は裁判官席には着座していなかった。

しかし、大川の期待通り、パル判事は極東軍事裁判の虚妄性を暴いてくれた。

罪びとたちが、罪びとを裁くというのが、東京裁判の本質だったと思う。

勝ったか、負けたかの差しかない。

 こと太平洋戦争に関しては、日本は無様に負け将棋を指す羽目になった。いやいや、対米開戦に追い込まれるという戦略負けだ。陸軍など軍部の暴走は戦略と政府と支配層の統治能力の欠如の裏返しだったのだから、しょうがない。

 とにかく、東洋史家の宮崎市定が独白していたように、戦前の有色人種国家日本の権利への孤独な闘争を理解していたのは、一部のインド人くらいだったようだ。

 新宿は中村屋に縁故があるビハリ・ボースA.M.ナイルの活動も忘れてはならない。

 戦時中にあってインドの独立のために日本の関係者を動かして、インド国民軍の創設や運営に力があった。インド国民軍インパール作戦で敗残の憂き目にあった。

 しかし、第二次大戦終了後にインド国民軍の兵士を有罪にしようとしたイギリス政府はインド人民の大規模な反対運動によって断念させられた。それが、インド独立の契機となるのだ。

 日本政府はボースに勲二等旭日重光章を、ナイルに勲三等瑞宝章を叙勲しているのは当然のことだろう。ボースの息子は沖縄戦で戦死していることもお忘れなきよう。

 当時の大アジア主義に一部なりとも共鳴する歴史愛好家として、新宿中村屋や東銀座のナイルレストランに足を運ぶのは悪い趣味ではないだろう。

 

 


東京裁判 - 東条英機の頭をはたく大川周明

 

 

 

 

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