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雑草のような雑念と雑考

ケーオーボーイの原点 福沢諭吉

 中国人は我が国にもこうした人材が19世紀にいればと評価されている日本人の一人に

福沢諭吉がいる。それは福沢山脈と称される産業界への貢献のみならず文明開化思想の先鞭をつけた点が大いに賞賛されているのだろう。

 そして、教育の普及がその第一歩であることを実践したわけだ。明治期に私財を投じて高等教育の礎を築いた人びとはなんと多いことか!

 早稲田大学明治大学東京理科大学立命館大学同志社大学立教大学等々と現存の私学はその伝統を今も灯し続けている。

 前置きはここまでで、慶応義塾大学の男子学生は俗にケーオーボーイと呼ばれている。異性への好印象や交遊が際立つ点が他大学生と違っているという印象がある。

 それは、この大学の創設者の幕末の写真が雄弁に物語っている。

 

 時代を考えてみ給え、安政6年(1859年)の幕末の咸臨丸での渡米だ。

アメリカの少女テオドーラ・アリス・ショウとのツーショットなど同時代のサムライは誰も成し遂げなかったことではあるまいか?

 塾生はそうした精神をいまも伝えていると評すべきだろう。