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雑草のような雑念と雑考

明治時代を生きた巨人たち

 バルザックの「人間喜劇」シリーズに描かれた主人公たちは、巨怪な性格の持ち主が多い。『従兄ポンス』の老友を気遣う末期の床にある音楽家シルバン・ポンス、『知られざる傑作』の天才画家フレンホーフェル、『ルイ・ランベール』の哲学者ルイ・ランベールなどである。

 彼らの強烈な情念と行動は破格であるといっていい。それが小説を部類の面白さに仕立てている。

 こうした人物像は「フランス革命」を生きた人々がモデルであるとされる。

 激動期であり、かつ人間性の解放の時代は規格外れな大きな人間を輩出するものらしい。

 それに相当するのが明治時代だろう。『らんまん』のモデル牧野富太郎もその一人だろうし、内村鑑三森鴎外露伴大拙などもちろんその範疇にあるだろう。

 バルザックの主人公との比較で言えば『絶対の探求』の主人公バラタザール・クラウスは、わが南方熊楠に比定されるのではないだろうか?

 すべてを投げうって究極の真理の探究に打ち込むバラタザールの生きざまは、世俗の栄誉や富などを軽視して、真言密教的生物世界の追求に全精力を捧げた稀有の博物学者であった南方翁のそれであったと思う。

 もう一つ、内村鑑三南方熊楠らに共通している特徴は強烈なナショナリズムだ。

 クリスチャン内村鑑三の「二つのJ」を思い出してみたまえ。同じ明治人であるマルクス主義者であった河上肇の留学記にも傲慢な欧米への反感とJapanへの思い入れが書かれているくらいだ。キリスト教徒とマルクス主義者の愛国心

 南方熊楠大英博物館の英人部長のまえで孫文にイギリス人たちをアジアから追い出すのが夢であると発言して、この革命家を狼狽させたという。

 国威発揚、即右翼というなかれ。明治人たちは欧米列強に苦しむアジア人たちと共鳴する精神性をもっていた。

 その精神性を思い起こすメロディーとして、『Stand Alone』は聴けるのではないか?

 司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』のOPは、喪われて久しい人間性開花と国威発揚の高揚感を響かせている。

 

 


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