縄文人の精神に肉薄するための布石
短い過酷な人生 骨からわかる寿命と死因
短くも美しく過酷な生活 父母と重なる生活時間は短い。乳幼児死亡率も高い
30歳以上は老人であり珍しい存在だったろう。明治人が50歳で入れ歯だったの
を思い出してほしい。冬場などはその日暮らしに等しい厳しい生活だった。
若者は10代前半で成熟し、共同体の支柱になっていただろう。
言語と共同体
狩猟と共食
食糧の在庫、資本としての財産はほとんどない。
所有の概念はなく、氏族のなわばりがあるだけか。
住居も衣服もシェアだろう。
縄文期にはインディアンのロングハウスがなかった
共同体 前期 中期 後期
縄文人の交易範囲の伸長を観察すると言語の複雑性も増大する
見えないものを理解できる言語になるには?
基本語彙は二語(はは、くさ、うみのように)=2音節であろう
ポイント:縄文人の言語の対象の再構成。歌はあったか、説話はあったか?
人間関係と衣食住、土地の基礎語彙から
見えないものや場所・抽象物の範囲
製作物 布や紐などは消滅。土器土偶や土葬の遺物などから推測
場所と土地 共通の名称で呼んだであろう。固有名詞と普通名詞の区別はない
たとえば「もり」や「かわ」がそうではないか
祭祀の場所をなんと呼んだのだろう。
祭祀の場所と催しを区別していなかっただろう。
精霊のようなものを幻視したであろうか? 中期の縄文人の精神
世界は共同体信仰の対象が住まうものだった。カミ、そういう名だ
っか。
なぜか巨石遺跡を生み出さずに自然の巨石崇拝が根付いた。それは国歌や庭石にまで響いている。しかし神や精霊はどちらかといえば樹木に宿ったとみえる。「はしら」という神の数え方がその名残だ。
不易な事象の切り出し 四季の移り変わり、太陽と月、雲と雨
アメとツチで天と地のすべてを語り尽くしていた
天災への耐性の違い(現代人との比較)
地震は脅威ではなかったろうが、沿岸住民は津波には弱かったろう(伝承による
知恵が少なかった)。
火山と噴火は理解しがたい現象であり畏怖以外のなにものでもなかったろう。
台風や大雨も高台に住んでいる人々には一過性の恐怖でしかなかったが、狩猟
に悪影響を与えたかもしれない。長期の寒気、例えば大雪や冷夏はひどいものと
ミズンの先史時代の方法論のあてはめ