Every time I hear the cheers of a child who was born to play,
or alive to play,
I want to writhe in my filthiness and dearness.
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ
梁塵秘抄のもっとも深甚なる思いが込められた歌謡である。
古典学者の小西甚一によって、
「平生罪業深い生活を送つてゐる遊女が、みづからの沈倫に対しての身をゆるがす悔恨をうたったものであらう」とされた。
上記の自動翻訳はほとんど、小西解釈の情緒を伝えきれていないだろう。
にもかかわらず、異文化圏の人びとに1000年前の庶民の歌とその情念が伝えられてあることを知ってもらいたいものだ。もっと古い古典期ローマの詩人ルキアノスに『遊女のはなし』はあるにせよ、そのよそ向きの会話とは比較できまい。
一代の皇族である後白河法皇が寸暇を惜しんで収集し愛吟した民間の歌謡。その取り合わせの妙にも感じ入る。その法皇は源頼朝が「日本一の天狗」とした権謀術数にたけた策士だった。今様の歩き芸人である遊女を直に遇して、ともに吟じたとはバロック的だ。