ミャンマーの時のヒト、アウン・サン・スー・チーと日本の関係をみるには、
この書籍に準拠するのがよい。
ビルマ侵攻と同時に帝国陸軍は自国の傀儡政権の相手役となるべく人材を選び、その教練をした。
アウン・サン・スー・チーの父親はその一人であったのだ。
志士の一人、ボ・ミンガウンの回想録の抜粋がこの書籍である。ビルマ独立後の懐古で彼アウン・サンが日本にどのような印象を受けたか。
ビルマから決死の脱出をして日本に到着。厳しい教育と訓練を受けた。だが、箱根での余暇も与えられ対等な人と人との温かい対応を受けた。
そうした心の弾んでいる時期に、歳にも似ずかゆいところにまで手の届くような世話をしてくれる弘子、英子の姉妹の優雅なふるまいに接して、私たちはまるで母に而倒を見てもらっている気分になったのだった
大日本帝國は欧米的な植民地化だけを考えているだけならば、これはありえないのだろう。この教練によって、彼らはビルマ独立の志士となるのだ。東南アジア諸国にとって、大日本帝國が諸悪の元とは言えないのだ(悪事もなしたのは事実だが)
ミャンマーの独立に日本がどのような役割を演じたか?
マイナスではないと誰でもいうであろう。東南アジアが植民地のくびきから脱するのは時間的な問題であったろう。だが、大日本帝國の下克上的な暴発が欧米列強の植民地支配の崩壊を早めたのは、否定できないと考える。
同書にはこうある
1981年に、ネウィン大統領は南機関関係者である日本人七人に、ピルマの独立に貢献したとして最高勲章「アウンサンの旗」を授与
大日本帝國は基本的に先進諸国と同じく帝国主義的政策をとった。そして、情緒的に下克上=軍事肥大主義を患ってしまった。日中戦争と太平洋戦争はその結果であろう。
おまけに下克上であるが故に大戦略は皆無のまま、アメリカの挑発に乗じるかたちで負ける戦争に突入したのだろう。
ドイツやイタリアなどのファシズム政権との違いは、大アジア主義のような理想をもった人物もいて、それなりに影響力を駆使していたことだ。彼らは優生学的人種主義が根深く染み付いていた。帝国日本にはそういう輩も多数いたかもしれないが、五族協和といタテマエを多数の人は信じていたのだと思う。南機関の関係者なども理想主義的だったのだ。
結果としてみれば、ビルマ独立に大きなインパクトを与えたのが第二次世界大戦だったのであろう。
アウンサン将軍と三十人の志士―ビルマ独立義勇軍と日本 (中公新書)
- 作者: ボ・ミンガウン,田辺寿夫
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1990/07
- メディア: 新書
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (4件) を見る