後期ウィトゲンシュタインでは「私的言語」は否定され、その影響は言語分析をならいとする英米系分析哲学者の及んでいる。言語は、どちらかというと公共的である。
パースのことばでは「思考とは外的な記号である」、また、「記号やことばこそは人間そのものだ」
現代の認知科学者は、逆を行っている。
ミンスキーは言う。
「ことばが使用される状況はそれを聴く人の精神のなかで学習済みのことと調和する仕方で内容が統合される」
精神がまず独立してあり、その間をことばや記号が行き来するという17世紀のベーコン&デカルト的な図式なのだ。
それは自我の独立という図式が明確になった時代である。西洋的自我の目覚め。
同じ17世紀の初頭に「大阪の陣」という戦乱が日本で起きた。大阪城の落城で終わる、その物語でこのような事件があった。
大阪方の塙団右衛門という剛勇の武士が討ち取られた。その首はある事情で攻め方の大将である徳川家康の実見にまみえることがなかった。その時、近習に仕える侍女に塙団右衛門の霊が取り憑き、首の実見を要求したという。
あとで調べると侍女は塙団右衛門の親類であった。
ことばとか想念というのは、特定の個人のものではない。近世以前の日本人には他者と自分の間というのは、それほど大きな溝はなかった。
簡単に人の霊が自分のうちに読み込まれて動きだすような人格構造であり、それを可能にしたのは言語の公共性だと思うのだ。
記号やことばありて、人の個性はそこに付随してくるような精神構造が近世以前にはありふれた情景だったというと言い過ぎであろうか?
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