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雑草のような雑念と雑考

ロボットに左右を教えられるか

 マーチン・ガードナーが提起した異星文明との交信でいかに左右を伝えるかというオズマ問題は、素粒子の崩壊の対称性の破れがその解決の鍵になるとその名著『自然界における左と右』でガードナーは解いた。

 もっと卑近なところで、最近はやりのロボットに左右を教えることはできるのであろうか?
 アシモは左右を見分けているのであろうか?
 確認したわけではないが、左右を知らないでも可能な行動プログラムをしていると考えられる。アシモは自分の右手にID=1、左手にID=2とでもしていて、動かす対象に識別番号をもたせているだけであろう。
 我らは右手と左手をIDとしてよりは、人間共通の記号として認識していて、それを自分の身体に当てはめているように思う。だから、相手が右手にコップを持ってくださいとその動作をしてみせれば、それを自分の右手に置き換えて真似ができる。
 アシモはそうしたことができるであろうか?
多分、おそらくは無理であろう。
 機械学習のやり方で左右を教え込むのも、なんだか大変なような気がする。多くの人が右手を右側にある腕だと指導しても、それを他人に置き換えると途端に狂うのではないだろうか。
 ピアジェは自分の子どもが左右を学ぶときに3つの難関を克服しているとした。
この3つはいずれもロボット工学にとって挑戦的な課題であり続けるのではないか。

 実は左右も学習の困難さは、宗教的な悟りについての洞察に通じる。世界を分節化するという文化的教練は大人になる必須条件であるが、それが多くの執着の原因を生むのだ。井筒俊彦は晩年にその問題に取り組んだ。言語アーラヤ識が苦悩の在り処となる。
左右を例にとれば、大いなるトレーニングにより学んだ左右という区別は差別の始まりになる。右が尊く左は不潔、右は正しく左は不正、語源的に多くの言語でそう解釈されており、差別の始まりのことばなのだ。これを捨て去ることは一つの修行といえないだろうか?
 井筒の『意識の本質』はことばの捨断離による俗世からの乖離を呈示しているのではあるまいか。