1988年から1995年にかけて日本ではオーム真理教事件として時代精神を変貌させるほどの影響を与えた宗教的な暴発があった。
この事件を孤立して捉えるのではなく、一連の文明化のプロセスで起きた宗教社会学的なテーマとして分析することは意味がありそうだ。
ウェイコのブランチ・ダヴィディアン、ジム・ジョーンズの人民寺院、ヘブンズゲート、メイヤー・カハネのカッハ運動、スイスとケベックでの太陽寺院教団などは内向きか外向きかの暴力を発動させているのは、1980年から1990年代末までの時期だ。
グローバル化と管理社会へと風向きが強まった時代は孤立した幻想の存続を許容しなくなっていたのかもしれない。
先進国の築きつつある文明の在り方が、こうした黙示録的なビジョンに捉われたカリスマの教団との並走を許さくなった時期という見方ができそうではないか?
より直接的にはこの本の214頁。