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『86 エイティシックス』を本土防衛戦に重ねる

 アニメの『86 エイティシックス』のワンクールが感動的なラストを迎えた。

人種主義により絶えず死地に送り込まれる「86」、そのスピアヘッド戦隊のリーダー は死神と呼ばれる、シンエイ・ノウゼン。

 他方、国家のご都合主義に反発しつつスピアヘッド戦隊の戦士たちに絶対的な支援を遂行しようとする指揮管制官=ハンドラーワン、ヴラディレーナ・ミリーゼ。

 初めのうちは拒絶されるも、前線の86たちとの連帯感は彼女の誠意によって次第に埋められてゆく。

 スピアヘッド戦隊のリーダーのシンエイ・ノウゼン は多くの部下を戦場に失うだけでなく、敵であるレギオンに「脳」を利用されないように最期の止めをさすという無情かつ、やむを得ない使命を担っていた。それが深いトラウマでありながら、散っていた戦友たちとのキヅナなのだ。

 これが物語りの主人公たちのプロファイルだ。

 自分は彼らに本土防衛戦、とくに第二次大戦で果敢に戦い、散っていた多くの若者たちの群像と思いを重ねる。本土上空で無差別爆撃を行う連合軍には、正義などなかった。ただの自己保存のために「空飛ぶ要塞」と呼ばれる巨大爆撃機から、大量の焼夷弾を市街地に投下する。戦略爆撃の目的は武器を持たない老若男女の虐殺だった。

無差別爆撃を行う機械はまさにレギオンだ。

 昔も今も、こうした状況を対して、平和とかヒューマニズムとか軍国主義だとか主張できるのだろうか?

 本土防衛に参加した若者たちは、まさしくスピアヘッド戦隊だ。86は帰投する選択肢のなかった特攻隊員たちだ。この物語りは彼らに捧げられたオマージュでもあろう。

   →参照:紫電改の剣部隊のエピソード

 あるいはウクライナの過酷な戦場で無慈悲な権力に蹂躙され、母国のために市民のために一身をささげている人びとを重ねることもできる。

 確かに、平和ボケな日本でラノベのアニメをみて、それをリアルな戦争と重ね合わせるなどというのは、ピンボケであるかもしれない。それであっても、その勇者と犠牲者たちへの弔いはできる。

 至るところ死に満ち満ちた戦場で生き残ることがPTSDとなること、生き残ることさえ罰となってしまうこと、これは知っておいてもいいだろう。この優れたアニメで、それを不確かながら理解できれば、それだけでも多くの犠牲者への弔いとなろう。

 

 そうなのだ。いつの世も戦闘の犠牲者の多くは若者だった。戦士のひと時の休息が最終話だ。レギオンを相手にした絶望的といえる戦闘において、このラストシーンにはかすかな希望の灯がある。

 もちろん、限りなく美しいBoy meets girlでもあろう、行く末を語ることはできないが、二人が手を重ねるシーンが86のロゴに置き換わる演出が心憎い。


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 制作に関わった、すべてのクリエータの皆さまに敬意を表します。

 

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 大戦末期に近い頃、四国松山に精鋭パイロットと最新鋭の紫電改を集めて剣部隊が結成された。圧倒的な米軍機に対して国土と国民を守るという彼らの決意は見習うべきだろう。

 数か月間におよぶ彼らの防空戦は帝国海軍の最期の栄光というべきだ。