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雑草のような雑念と雑考

超心理学はなぜ自然科学となれないか

 J.B.ラインらの努力により実験科学(実験心理学)と同じ方法論を備えた超心理学は開設このかた、自然科学の一部と公認されたことがない。
 前身といっていいロンドンのサイキカル・リサーチですら、そうだった。その後、デューク大学のラインが科学的方法論に基づいた自然科学として超心理学を提唱したのが1930年である。それ以来、超心理学の実験結果が科学的証拠となるという少数派とそうではないという多数の反対派とのせめぎ合いが続いている。
 心理学そのものが人文科学であるという指摘は脇に置く。テレパシー、予知能力、念写など一連の超感覚的な知覚や遠隔作用は物理現象(媒体なしの通信や感光作用、因果関係の否定を伴う情報取得)を肯定的に扱う。
 通常の心理学と異なり、心理現象が起こす物理現象であるがゆえに物理学の原理との矛盾点に直面せざるを得ない。しかし、超科学の手法=統計的な有意性、ある情報に関する認知が誤謬なく記録される事象は極めてレア=まれであるということからの間接的な存在論証で物理学の原理との相克を乗り越えることはできない。
 クワインの科学基礎論が示唆を与える。デュエムクワインのテーゼ、決定実験はありえない。それは超心理学サイドにとってもそうであるし、通常の自然科学の立場からもそうだ。
 超能力の非存在も、その存在も異なる「立場」のグループにとってはお互いを納得させる決定実験などはないのだ。
 2つのグループは異なる「科学の規則集」によって立つからだ。それがホーリズムである。ホーリズムの論ぜつはクワイン哲学にあたってみるのがよかろう。超心理学の「実験結果」は自然科学の形而上学的前提のうみだすホーリズムの辺縁を侵そうとする。しかしながら、個々の「事実」は自然科学のコアな前提と矛盾するために受け入れられることは無い。
 興味深いのは超心理学者側が超能力の「事実」をいくら集積してみせてもそれを否定する立場の自然科学者を説得できない、その捻れた関係である。
 反対陣営は人間の精神現象に起因するような遠隔作用は無いとするのだ。精神の物質界への干渉は自然科学の大前提であり、それに背反するような事象はどのように実験事実を積み上げても説得されないのだ。
 ひとたび、精神による物質界への干渉を許すと通常科学の「科学実験」の基礎を突き崩す可能性があるのだろう。
 2016年重力波の観測の成功などもその一例かもしれない。原子単位での位置のズレを巧妙な方法で計測している。その信号処理過程では情報フィルタを幾重にもかけるのだ。
その過程にヒトの意識の干渉など認めたら、原子単位での計測など無意味になることもあろう。

重力波は歌う:アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち

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超心理学概説―心の科学の前線

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 初期の心霊「科学者」たちの悪戦苦闘を同情的に描いた秀作ノンフィクション。いくらもがいても大勢を変えるまではいたらないもどかしさ。つまり、「事実」の積み上げでは「自然科学」にならないのだ。

幽霊を捕まえようとした科学者たち (文春文庫)

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