2月11日の『被災地の「幽霊」卒論が問う慰霊の在り方』という記事は様々な連想をもたらす。
震災で娘を亡くしたタクシー運転手(56歳)は石巻駅周辺で客を待っていた。震災があった3月11日から数ヶ月たった初夏、ある日の深夜だった。ファー付きのコートを着た30代くらいの女性が乗車してきた。目的を尋ねると、女性はこう言った。
「南浜まで」
「あそこはもうほとんど更地ですけど構いませんか。コートは暑くないですか?」
「私は死んだのですか?」
女性は震えた声で応えた。運転手がミラーから後部座席を見たところ、誰もいなかった。
『鉄道員 ポッポ屋』という映画でもあったように、死者の息遣いが感じられる。死者が残された者を気づかう。あの世から再来して「父ちゃん、けっぱれや」と言おうとしている。
『遠野物語』の語り部であった佐々木喜善は不思議な死者との交流を記録している。それらの死者たちは生者たちを慰め、力づけるような親密なあり方、コミュニケーションをするのだ。恐れられるのではなく、あの世にあっても家族親族としての優しさや暖かさを失わないそんな存在に昇華しているのだろう。
いかにも東北地方らしい細やかな情話ではないだろうか。
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