中華人民共和国の栄光と悲惨を体現した人物として彭徳懐を例として取り上げる。
湖南省出身である彭徳懐は大長征にも参加活躍するなど、古くから共産党において実績を積み上げてきた古参兵であった。毛沢東ともほぼ同郷の出身で、お互い「老毛」と「老彭」と呼び合う仲であった。
なかでも彭徳懐の国内における名声が高まるのが、米国を主力とする国連軍を撃破した朝鮮戦争である。
毛沢東から前線での司令官に任命されたのは親密性にもあるが彼の能力&戦歴とその戦士としての鍛錬ぶりにもあった。
ハルバースタムはこう書いている。
戦場で鍛えられた彭徳懐は、兵士のなかの兵士として、だれからも崇拝されていた。かれは政治ではなく、軍隊の人間だった。毛沢東は彭徳懐を西北地区から呼んで北京で最高級のホテルの一つに泊まらせたが、かれは柔らかなベッドが苦手で、床に寝ていた。
高名なノンフィクションライターでジャーナリストであるハルバースタムは彭徳懐の軍人としての資質を高く評価する。マッカーサーの後任となって戦線を挽回したリッジウェイと彭徳懐の共通性を指摘している。
彭徳懐の戦略に基づくこの作戦ではマッカーサーの部隊を敗走させることになる。第二次世界大戦で勝ち続けていた米国陸軍を空軍の擁護にもかかわらず恐慌状態に陥れ、惨めな敗北に追い込んだのだ。1951年のことである。
この後の紆余曲折はともかく、彭徳懐の名声と信望は中華人民共和国内において高まったことは言うまでもないだろう。
そして、その転落もまた栄光に反比例するように悲惨なものとなった。歴史家の王丹はそれ遠因を毛沢東の個人的な怨恨に求めている。
1959年の廬山会議に彭徳懐一派の粛清が開始される。キッカケは「大躍進」という名の大飢餓の発生である。彭徳懐はその前年に湖南省を視察してその惨状を目の当たりにした。毛沢東に私信を送り、「民主主義の欠乏、個人崇拝こそ、これらすべての弊害の根源である」と書いた。これが毛沢東の逆鱗に触れた、あるいは少なくとも自分の権威への深刻な挑戦と感じたのだと王丹は指摘する。
1965年文化大革命の発端に立つことになる。毛沢東はある戯曲「海瑞の免官」を批判する。「われわれは彰徳懐を解任した。彰徳懐は海瑞なのだ」
紅衛兵たちは病人となっている元の国家英雄に容赦無い暴力を加えた。
1966年には紅衛兵により成都から北京に連行される。1967年7月9日の批闘会では7度地面に叩きつけられ、肋骨を2本折られ後遺症で下半身不随となった。
一兵卒と一緒になり大長征を戦い、国民政府軍を駆逐し、当時最強であったはずの米国軍を敗走させた名将の末期とはこうしたものだったのだ。
さて、なぜこうした愚かなことが起きたのだろうか? 文化大革命とは青年層の無秩序な反権力活動であり秩序を破壊する盲目的なパワーでしかなく、毛沢東の個人崇拝に結びつき毛の権力欲を満足させる道具でしかなかったかのようだ。
【参考文献】
- 作者: 王丹,加藤敬事
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- 作者: デイヴィッドハルバースタム,David Halberstam,山田耕介,山田侑平
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