ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

すぐれてカネまみれな先進国文化

 大学発ベンチャーとか、国公立大学での理系重視傾向とかいうやつも簡単に、かつ雑駁に表現すれば、金儲けにつながらない学問は用無しだよ、というお国と経済界のメッセージだと思う。
 教養主義が無用だと軽視される風潮もそうだ。文系の学徒は金儲けの才能と「叡智」を大学で学ばなくてはならないし、大学や大学院は文理を問わず「社会貢献」(このコトバは国益とか、起業とかとほとんど差異がない)しなければならない。

 莊子とか論語を引用できない管理職よりは、詩吟ができる部課長のほうが好感が持てる。ゲーテとか、ハイネを語れるエンジニアの方が余白があっていいに決まっている。それは子規や西田幾多郎でもいい。そうした縁側のない薄っぺらい精神ばかりが大量生産される世間とはさぞかし、金勘定好きのはびこる薄ら寒い貧相な世の中にあるだろう。

 思えば、日本の産業基盤に貢献した大物たちはそんな理系教育を受けた人びとばかりではない。企業が成長するにつけ技術系の教育を受けた人間は必要になるが、それは今までの日本の高等教育で十二分に供給されてきたはずだ。
 それどころか、シャープでもSONYでもパナソニックでも熟練エンジニアはどんどん放出されてしまっているのが実情のようだ。
 こんな有り様なのに、なんで理系偏重しなけりゃいけないのだろう?
 世界観も人生観も語れない、かといってモノづくりセンスは中途半端なエンジニアの卵を排泄するのが、これからの高等教育機関になるだろうか?
 それは荒涼たる世界、貧困なる精神しかもたらさないだろう。

 老荘思想を少しでもかじったことのある精神は、こうした風潮を「俗物どもの遠吠え」と軽くいなさなければならないのだが、それはその俗物性を跋扈させるだけだろう。なので、自分としてはシノペのディオゲネス的にシニカルな嘲笑を浴びせるブログをものした。