ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

文化の自画自賛とナショナリズム

メディアに満ち溢れている ジャパン・クールとか、外国人観光客を追い回す番組とかは、ネットでも同様な海外ネットの反応と同様に、他者の眼という鏡を通して自国を見直すという点で教訓的である。
 その反面、安易な自画自賛ひいては唯我独尊になりかねない側面がある。
「和食は先進国でもヘルシーで美味と評判なのだから、世界文化遺産トーゼン」のような控えめな表現から、
「和食は世界一、他国の食文化より断然うわてだ」という唯我独尊までは、皮一枚くらいの差だ。
「アニメは世界の若者に大人気の日本のポップカルチャーだ。国をあげて文化輸出」なんてのも便乗主義的な軽薄さが漂う。
 商業的な娯楽コンテンツを国家が後押しするのであろうか?
本当に楽しめるものなら、企業に任せておけばいい。本もののエンタメは自然に買い手がつくのだ。
おしん」や手塚アニメ、「スピード・レーサー」などはレスペクトする人々が自然発生した。

自国文化への過剰な思い入れは、えてして偏狭なナショナリズムと底を通じる。
北大路魯山人アメリカ・イギリス料理を貶した。それはまあそうかもしれないが、フランス料理を貶したのは行き過ぎといわれる。

...若人によって、むやみと誇大に、フランス料理は日本人に宣伝されてしまったらしい。いわゆる若気の至りというやつである。それが今回の僕の外遊によって、憚りながらほぼ明らかになった。僕のテストでは、その料理の発達振りはバカバカしく幼稚なものであった。微妙な工夫、デリケートな魅力を持たねばならぬはずの「味」は、終に発見し得なかった。
味のことばかりではない。まず見る目を喜ばせてくれる「料理の美」がまったく除去されていて、まことに寂しいかぎりであった。

 終いにはこんな文章『フランス料理について』を残すことになる。

幸いなことに日本料理は幾千幾百と材料に恵まれている。いわゆる山海の珍味が豊かなことも世界一のように私には考えられる。このような国にあって、食道楽を極めない者ありとするなら、文化人だの自由だのと言う資格は怪しくなってくる。

無邪気な美食主義に加えて、ここには鼻持ちならない唯美主義と夜郎自大が漂っている気がする。うまい物を美しく皿に盛るのが「自由」を論ずる資格ときた。
 この手の視野狭窄型唯我独尊は、そくざにナショナリズムに流れてしまうのは歴史的意識障害のなせる業であろう。

しかし、末期の迫る中江兆民が「余常に謂う、我邦文章、義太夫本第一等也、欧西トラジエヂー、ドラームに劣らず、物語の類皆及ばず」としたのは、斟酌するところがあるやもしれない。