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中国人は我が国にもこうした人材が19世紀にいればと評価されている日本人の一人に
福沢諭吉がいる。それは福沢山脈と称される産業界への貢献のみならず文明開化思想の先鞭をつけた点が大いに賞賛されているのだろう。
そして、教育の普及がその第一歩であることを実践したわけだ。明治期に私財を投じて高等教育の礎を築いた人びとはなんと多いことか!
早稲田大学、明治大学、東京理科大学、立命館大学、同志社大学、立教大学等々と現存の私学はその伝統を今も灯し続けている。
前置きはここまでで、慶応義塾大学の男子学生は俗にケーオーボーイと呼ばれている。異性への好印象や交遊が際立つ点が他大学生と違っているという印象がある。
それは、この大学の創設者の幕末の写真が雄弁に物語っている。
時代を考えてみ給え、安政6年(1859年)の幕末の咸臨丸での渡米だ。
アメリカの少女テオドーラ・アリス・ショウとのツーショットなど同時代のサムライは誰も成し遂げなかったことではあるまいか?
塾生はそうした精神をいまも伝えていると評すべきだろう。
学生時代には勝手にシンドバッド的に古代ギリシアに憧憬を募らせたものでありました。孤独のグルメならぬ「孤立のヘレニスト」というわけですな。
と言っても古典ギリシア語を独習するわけでもなく、淡々と邦訳書をかき集めて、読みふけるだけでありました。
記憶が散逸するまえに、その書誌をAMZ的コレクトしておきますかな。
なかでも、ガスリー、ニーチェとドッズが印象深い。
それ以外には2020年代で読み終わったブルクハルトの『ギリシア文化史』は著者の天才と感性にはただひたすらに魅了された。ニーチェが心酔しただけのことはある。
個別のギリシャ文化紹介というものある。ツェラーの『ギリシャ哲学史綱要』、ギルバート・マレーの『ギリシア宗教発展の五段階』、サボーの『ギリシア数学の始原』、ウァルデン『数学の黎明』などがある。思考を刺激するギリシア人の歴史書だけでも相当な数があるが、ここではツキジデスの『戦史』だけにしておく。
また、田中美知太郎の『ロゴスとイデア』と今道友信の『アリストテレス』は学者の力量とヴィルトゥオーソを感じさせる貴重な書籍だった。
分野はことなるけれどもルーベンスタインの『中世の覚醒』だけでも近代における西洋覇権の要因が古代科学と思想の発展的な継承にあったことを痛感したものだ。
その肝心のギリシアの科学思想は中公バックスの『ギリシアの科学』だ。この書を大学生のときに食卓で読んで、深いインパクトを受けたのがいまの自分になった由縁というと大げさかもね。