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雑草のような雑念と雑考

歴史が織りなす、人々の気になる繋がり

  明治期の日本が犯した犯罪に「閔妃暗殺事件」がある。乙未事変ともいう。1895年のことだ。他の国の皇后を暗殺したのだから主権侵害どころの話しではない、恐るべき暴力の発動と狂気の沙汰といって間違いはない。

 首謀者の一人は三浦梧楼その実行犯の一人である禹範善(ウ・ボムソン)がここでの気になる存在だ。

 彼は間違いなく朝鮮の未来を案ずる愛国者であったには違いない。日本方式で洋化を目指す開明派だったこの人物は事件後、日本に亡命する。そして、日本人女性、酒井ナカと結婚し、帰化する。

 1903年呉に新居をかまえたその日に、高永根・魯允明によって刺殺された。もちろん、彼らの動機は閔妃殺害の恨みをはらすためであり、裁判で有罪となりはしたが、李朝の純宗のとりなしにより特赦されている。純宗はもちろん閔妃の息子である。

 禹範善酒井ナカの息子が禹長春だ。東京帝国大学農科大学を卒業後、農林省西ヶ原農事試験所に就職。日本人女性・渡辺小春と結婚。育種に関する彼の研究は素晴らしいものであった。

「種の合成」は「禹長春のトライアングル」とも呼ばれ、1960年代には細胞遺伝学を学ぶ学生は必須で、禹の理論は最も盛んに学ばれた

 サカタのタネタキイ種苗株式会社の創業者たちとも交流している。

 戦後、韓国にわたり、9年間の残りの人生を韓国の農業振興に捧げた。韓国農業の父と呼ばれる。そして、彼の息女が京セラの創業者の嫁になったというのも、なかなかに人の繋がりの縁を感じさせるのだ。