ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

(夢物語) 一つの宇宙に一つの知的文明

 並行宇宙説というのが地道に支持者を広げている。有名なのがリサ・ランドールだろうが、最近では同様な主張をしているMITのマックス・テグマークの啓発書が訳された。

 フェルミパラドックスと重ね合わせてみると面白いかもしれない。その想像はこうだ。
 多数の宇宙がある。しかし、その宇宙では知的文明は同時に一つしか存在し得ない。
それを量子力学の観測理論の排他性から論証できないだろうか?

人類はその一人一人が独立した知性であり固体だと信じている。だが言語や科学、その文明を支えるインフラや観測施設はビッグサイエンスとしてしか維持存続できない。
いわば群体知性なのだ。個人の知性はその一部でしかない。
 量子力学レベルを達成した群体知性は一宇宙に一つしかないので、他の知的文明を観測できない。
 なぜ、一つだけなのか? ここからが完全に憶測だ。
 量子力学の数学的基礎である観測理論がその答えを握っている。量子力学のレベルの観測が可能なのは群体知性だけである。
 波束を収縮させられるのはウィグナーの友人だけだ。言い換えると群体知性のメンバーだけが量子力学レベルの観測を許されている。他の知的文明はそれが禁じられる。
後付であるが、唯我論と並行宇宙を結びつけてもいいかもしれない。ウィトゲンシュタインが論理的な唯我論から抜け出そうと苦労したのはうっすら記憶にある。自分の住む宇宙というのはその知覚地平において論理的に閉じた宇宙となっている。つまりは各人はその独自独立な宇宙に住んでいる、互いに同じ宇宙に住まっているというのは幻覚である。いや幻覚ですらない。異なる宇宙からの異世界間のコミュニケーションを実践しているのだ。
 なぜ「異世界」なのか?
 同一性を論理的に証明できないからだ。君の「歯痛」は私の「歯痛」は同じであることは普遍的な真実でない。論理的に証明できなからだ。感覚世界すらことなる。「言語」や「非言語」コミュニケーションで「わかりあった」ということこそ「幻想」だろうとしたほうが確実性が高い。