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雑草のような雑念と雑考

小説家とセーラー服

 近代の生活でセーラー服が定着してゆく姿を著名な小説家の例から探る。

織田作之助の『夫婦善哉』(1940)から

あくる日、十二三の女の子を連れて若い女が見舞に来た。顔かたちを一目見るなり、柳吉の妹だと分った。はっと緊張し、「よう来てくれはりました」初対面の挨拶代りにそう言った。連れて来た女の子は柳吉の娘だった。ことし四月から女学校に上っていて、セーラー服を着ていた。頭を撫でると、顔をしかめた。

 早くも昭和の頃から大阪の風景として馴染んでいたのだ。

 久生十蘭の『母子像』(1954)は時代的にやや遅いが、神奈川県の厚木が舞台の物語りだ。

考課簿の操行点も「百」となっていましたが、でもねえ、先生、私どものほうには、まるっきり反対な報告がきているんですよ。こんどの事件は別にして、かんばしくないケースが相当かさなっています……五月三日の夜、本人は女の子の仮装で……セーラー服を着て、赤いネッカチーフをかぶっていたそうですが、そういう格好で、銀座で花売りをしているところを、同僚につかまって、注意を受けております

 外村繁の「落日の光景」(1960)は「新潮」という文学誌の連載だ。

 階段の上には、明るい春の陽光が差し入っている。その中に人の姿が現れると、直ぐ黒い影となって、階段を下りて来る。地下室には四つの照射室がある。担架に乗せられた患者も担がれて来る。老婆がセーラー服の娘に手を取られて下りて来る。ひどく覚束ない足取りである。老婆は階段を下りると、椅子の前に蹲ってしまう。

 ということで、3件ばかりの用例にすぎないが戦後まもなくセーラー服の女学生は身近な存在になっていたことがわかる。