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雑草のような雑念と雑考

決められない議会の光景

 カール・シュミットはナチの御用法学者という汚点を持ちながら議会制民主主義の限界についての優れた見解のゆえに、アクチュアルな人物だ。
 彼は出来立てのワイマル共和国の議会制民主主義にさじを投げた。この議会は危機に際して空転するばかりであったが故に、ナチスの台頭を許した。混乱する政局と経済は独裁者の土壌を提供した。

 ところで、21世紀の今日、政治と経済は1930年台のドイツのような混乱には至ってはいない。先進国は「議会制民主主義」であることがアタリマエのこととなっている。ロシアや中国という例外があるものの、民主主義は勝利をおさめている。
経済については開かれた市場が地球をあまねくおおっている。国際貿易はグローバル化によって国家の障壁を取りはらう方向にある。

 しかしながら、決められない事象は先進国家だけではなく国家間における取り決めにあらわれている。京都議定書がその典型だといえよう。また、経済に関する協定でも同様なことが起きている。

 グローバルなリスクというものが21世紀の議会制民主主義の暗雲になっている。
予防原理というものがある。小さな確率であってもそれが未曾有の災厄となるなら、防止手段を講じるべきだ。そうなると原発事故や津波などに対する備えといったものがどれもこれも完全な防護策を請求する権利をもちだす。
 とめどない議論がそこで湧き上がるのだ。議会制民主主義はそれを決めきれない。

サスティーンの『最悪のシナリオ』はその中立的な検討を行った。だが、解決には程遠いとうことを明らかにするほうが重要だ。議会制民主主義の停滞があることを明示すべきだ。