世界の政府や企業などが、のらくら環境問題を先送りしているうちにそれらが雪崩をうって加速する。南極大陸、北極海やグリーンランドなど地球儀の地図でも識別できるほどのスケールで氷床が消失しているのだ。
現世の株価や地価、景気や売上に気を取られているうちに、足元の産業基盤がガラガラと崩れてゆくわけだ。
かねてより仏教は個人レベルで無常迅速、生死事大を唱えてきたけれど、文明レベルでその生死が目睫の間に迫っている。
もって、あと一世代か二世代くらいか。
文明の盛衰を論じたトインビーの学説はもはや顧みる余地はないのかなあ。この文明そのものは無数の喧騒と成長への投機のうちに、翌朝には弔鐘を聞くはめになろうというのになあ。
現代文明という地球規模で活動している文明がその制御と秩序を維持できなくなる。別に人類はそれと連動して滅びるわけではない。モダン・ライフを支える基盤がその存続の際に直面しているだけである。
市民生活の便利さは自分自身の足元を瓦解させる。
Web、自家用車とエアライン、使い捨てコモディティ商品や牛肉・穀類・砂糖などなど国際交易ネットワークで生み出されているような生活が維持できなくなるだけである。
大きな痛みが伴うことになるだろうが、人類はしぶとくサバイバルする。
それが21世紀後半の展望だ。