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雑草のような雑念と雑考

フランスの詩人の観た能

 20世紀初等のフランスの外交官ポール・クローデルパンテオンに葬られているほどの才幹を有した人物であった。
 その彼が駐日大使であった時代に、伝統芸能に深く親しんだ。
能の理解はその理解の正確さと繊細さをよく伝える。
堀辰雄の引用の孫引きをしておく。

「劇とは何事かが到來するものであり、能とは何びとかが到來するものである」

その扇の象徴性を語る口ぶりは感動的ですらある。

「この彫像の上で、それは顫へてゐる唯一つのものである。それはその彫像の腕の先にただ一つきりある人間的な葉むれである。そしていましがた私が言つたやうに、それは翅のやうに、思考のあらゆる態を眞似る。それは色彩組織を變へ、心臟の上でゆるやかに打ち、又、不動の顏の代りに震へる、金と光との點である。それは手のなかに咲いてゐる花であり、炎であり、鋭い矢であり、思考の地平線であり、魂の顫動である。「蘆刈」の中で、長い別離のあとで、夫と妻とが再會するとき、二人の感動は、二人の息づかひを一瞬間ごつちやにしてしまふ、二箇の扇の顫動によつてのみ表現されるのである。」