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雑草のような雑念と雑考

淡島さまと人形の発生 メモ

 日本人の「人形」の伝統はどうやら信仰と切り離せないものであり、古代の海洋民の崇拝の対象であったようだ。
 文楽のような芸能はそうした発生源をもつ。近代までその伝統を続けている民族はそうはいないし、芸術までに昇華したのはもっともっと少なくて世界的にも価値がある。
 そうした人形の民俗についての折口信夫の論考を引用して、まとめておく。
 幸いにして、どれも青空文庫で読める。

 まず、「偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18396_22465.html
 淡島さまという住吉神の后の信仰が古代西日本にはある。折口自身も訪問した三浦半島葉山近辺にも行列ができるほどの淡島堂があるという(葉山の近くの深谷という場所らしいがネットで調べても出てこないのでもはや消え失せたのだろうけど)。
 いずれにしても、それが傀儡子の人形と結びつく。
傀儡(くぐつ)は明治初期まではいたらしいが、文明開化とともに消えていった。人形遣いで生計をたてていた芸能の民は信仰を伝える民であった。
 淡路島を代表とする粟島にもその信仰が根付くという。

 淡路島に、西の宮の神人ジンニンが居つて、其が、西の宮の祭礼に参加する事、恰も古代の邑々ムラ/\に於て、海岸から離れた洋上に、神の島があり、其所から、神の来り臨むやうであつたのだと思ふ。

 文楽人形は淡路島が発祥という。その起原はこうした古代からの祭りにあったとする。そこまで透視するのが折口の天才ぶりだ。

 折口自身、文楽浄瑠璃の起原をこう要約している。

淡路・西 ノ宮の間から、突然に「人形舞」が現れて来た様に見える。が、其長い間を、海部の子孫の流民の芸能の間に潜んで来たものと見るべきである

                        『国文学の発生(第四稿)』

 古代人は淡路島をどう特殊視したかというこうある。折口の「古代人の思考の基礎」より引用する。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/47023_39098.html

淡路島を 胞 ( エ ) として、大八島を産まれた、と明らかに書いてある。長兄・長女を 兄 ( エ ) と言うた。其で此処も、淡路島を最初に産んだ、と解釈してゐる。其様な無理な ... 土地を産む時には、淡路島を 胎盤 ( エ ) としてお産みになると考へてゐた

 もし、興味があるならば、昭和初期の頃に淡路の人形がどのような状況かをレポートした記録がある。
 研究者であった竹内勝太郎の『淡路人形座訪問』を読んでみよう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000636/files/18367_17170.html

淡島堂の訪問地】
 我ら関東のものには「淡島堂」というと浅草浅草寺のものが著名だという。

 東京都台東区浅草2丁目7 浅草寺淡島堂 主祭神少彦名命とするけれど本来は折口の指摘のように淡島明神なのであろう。

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