ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

フェイクニュースのわけ

 最近、気づいたのだけれど、フェイクニュースの流行はマスコミの質の低下とともに発生している。もちろん、それはSNSのような口コミの経路が勃興したのが直接的原因なのだろう。あいにく、そういう草の根レベルのメディアにはチェック機構が働かない、あるいは働きだすまでに時間がかかるものだ。
 かつては大手のメディア、大新聞社とか、政治経済の一流雑誌、テレビのニュースチャンネルなどがニュースを支配していた。権威的な支配であったかもしれないが、嘘デタラメは検閲機構により排除はされてきた。
 それがここ10年もの間に、ニューヨーク・タイムズとかワシントン・ポストとか良質な新聞社は経営悪化して、気息奄々。地道に取材する体力や士気が劣化しっぱなし、なによりも読者層が減少して、影響力が少なくなっている。
 それなりの見識でもって、事件の報告と論評を行い、社会に戒告する。そんな社会的儀式はすっかり影を潜めてしまったわけだ。
 出回る情報は統制されたものではなく、アナーキーな言説のルツボがあるだけになってきている、というところだろう。