ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

子どもが何を思うか

 乳児の心理学研究が盛んだが、もっと成人に近い小児の心理の研究も盛んになって欲しいものだ。大人に近すぎて方法論の確立が難しいかもしれないけれど。
 卑近な例では、電車の吊り革が子どもの関心をどれほど惹きつけることか。これは奇妙にもつい最近まで自分が子どもであったにもかかわらず、完全に忘れ去っている感覚だろう。
 大人同士が自分のはるか上方でよく理解できない会話を交わしている、それをどう感じていたかも思い出せない。大人の目線というのは子どものそれとはだいぶ違うものらしい。
 子どもの目線をバラージュはクローズアップの感覚と呼んでいたと思う。大地に近い子どもの目線はより自然な感覚にあると想像される。犬や猫、小鳥とも目線が近い。
 嗅覚世界は大人などより遥かに豊かなものだろう。一瞬の匂いが子どもの感覚や情動を激変させることもありうる。天候の変化にも鋭敏に反応しているのが子どもたちだと思う。
 晴天と雨天では、子どもは異世界にいるのかもしれない。

 このような感覚世界や情動をより確かに記録しようとしたのは、一群の文学者たちだろう。ゴーリキートルストイラルボー、谷崎や井上靖などが記憶の古層にメスを入れた作品をものしている。児童小説や絵本の作家たちもそれに近い存在だろう。
 そうした大人の大人である少年少女たちの記憶のものがたりは大人の垢まみれの記憶を洗浄する力がある。

にしても、人間は本当に忘れっぽい生き物だ。