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雑草のような雑念と雑考

現代哲学一歩手前

 根本的な疑問に向き合うために何らからの手がかりがいる。その手がかりは凡そは哲学か自然科学にあるだろう。
 それに助けを求めるには逡巡がどうしても生じる。その答えはあるのだろうか?あるいは疑問がその手がかりと関連しているのか等々だ。
 しかもどの学問のどの研究者にしても深い井戸のなかの蛙に成り果ててる様な気配がある。一般市民や青少年の目先の問題とは異なる次元で研究が進められているのだ。言ってみれば、最初の取っ掛かりに研究者はしがみついて、その問題と悪戦苦闘するだけで根本的な疑問とは別の情報空間で生きている異星人となるようなんですな。
 だからこそ一流の研究者たちの肉声や情報発信に接する機会は減少しているのだろう。