ランダムなメモランダム

雑草のような雑念と雑考

映像と戦争機械

 ガトリング銃は戊辰戦争で活躍した機関銃(マシンガン)であるが、その発明者ガトリング大佐は蒸気船の外輪をみて、回転式弾装を思いついた。
 同様な着想が映写機に転移するのは、時代の様相そのものだろう。フィルムを回転体からレンズまで連続的に装填し、巻き取る。連続写真が動く映像になる。
 その同じ原理はデジタルカメラにも内臓されている。クロック周期でデジタル回路は映像スナップをCCDから読み取り、ディスクにビット列を書き込む。
 周期は回転運動に他ならない。
マシンガンは飛翔体を吐き出すが、映写機は光の束を投射する。
 視覚は戦闘のために進化しなければならない宿命にあった。いまや遠隔操縦のカメラとマシンガンは同じ機械に装着されている。

 映像は一人歩きする。『プラーグの大学生』の主人公は自分の映像を魔法使いに売り渡す。その映像は学生の分身となって街中をさまよい歩き、彼の名誉を傷つける。
 YouTubeなどのソーシャルメディアでは映像がその被写体を死に追い込む事件が起きる。
複製された「分身」の多数性が本人の尊厳を瓦解させる。